『若草物語』『森の生活』で結実── 超絶主義は今も確実に生き続けている
幸運だったエマーソンとの交流
「自然を師として自己の内なる声に耳を傾け、個人の生を超えた普遍なる生、宇宙の神を感得しようとする」超絶主義思想は、今まさにルイザの中で結実しようとしていた。 彼女は、こうした日記の他にコンコードでは、近所の子供たちを自宅に集めて行う芝居の脚本も書くようになった。この芝居の上演のことは、後年ルイザが執筆する『若草物語』にも登場する。 そうした芝居の脚本と共にルイザは、近所に住むラルフ・ウォード・エマーソンの娘で七歳年下のエレンに読んで聞かせるお話も書いた。 19世紀のアメリカ国民の精神的指導者とも言われた、このエマーソンを身近に持てたことは、ルイザにとってきわめて幸運なことだった。エマーソンをいつも身近に見ていた彼女にとって、作家として身を立てることは少しも特別なことではなかったし、エマーソンの書斎には本もたくさんあったので、彼女はいつでもそれらの本を借りて読むことができたのである。 『若草物語』に登場する、思いやりと愛情に溢れた隣家の老紳士ローレンスは、言うまでもなく、このエマーソンをモデルとして描かれている。そして、この本の中でルイザ自身の生き写しであるマーチ家の次女ジョーは、ローレンス氏の書斎でいつもガツガツと本をむさぼり読んでいるのだ。
父ブロンソン、ソロー……それぞれを『若草物語』に投影
ローレンス氏の孫の青年ローリーのモデルの一部は、もちろん、ソローである。『若草物語』の中でローリーが発する明るさと活力は、ルイザがまだ7歳だった頃、コンコードの自然に彼女を導いてくれた若きソローが発していたそれに他ならない。 ソローは、まだ44歳の若さで風邪をこじらせて他界しているが、当時28歳だったルイザはそのとき「ソローのフルート」という詩を捧げている。その詩の一節は今も、コンコードの記念館オーチャード・ハウスの中にあるルイザの部屋の半円形のテーブルの上に飾られている。 『若草物語』には、ジョーの父親は、南北戦争に行っていてほとんど登場しない。続編にもほとんど出てこない。 だがルイザはやがて自らの生き写しであるジョーを、ニューヨークで知り合った年上の男性ベア先生と結婚させ、そこに父親ブロンソン・オルコットの姿を投影させて、こう記すのである。 「ベア先生は貧乏だ。それなのにいつも人に何かを与えているように見える」 「貧乏だが、いつも人に何かを与えている」そう、この姿こそ、娘ルイザが父ブロンソンの中に見ていた真実だったのだ。 エマーソンが唱えた超絶主義思想。その思想はこうして、ルイザ・メイ・オルコットが著した『若草物語』の中で、そして、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが遺した『ウォールデン 森の生活』の中で、それぞれに大きな実を結び、今も確実に生き続けている、と言うことができるのである。
---------- 井上一馬(いのうえ かずま) 1956年東京生まれ。日本文藝家協会会員。比較文学論を学んだ後、ウディ・アレン、ボブ・グリーンなどアメリカ文化の翻訳紹介、英語論、映画評論、エッセイ、小説など、多彩な執筆活動を続けている。