生稲晃子、怖かった二度目の乳がん再発 “普通”に接してくれた家族に感謝
「ママは終わった人だから」娘の厳しくも的確な言葉には笑うしかない
娘は12歳になる。母親を見て、自分もこんなステキな大人になりたいと、芸能界に入りたがることはないのだろうか。 「まず、娘はまったく私のことをステキだと思ってないんです。いつもいわれるのは、『ママは終わった人だから』と(笑)。いまをときめく方々がテレビに出てくると、『ママも一緒にこの人たちと出してもらいなよ、頑張りな』って。なので、私を見て芸能界にあこがれはしないと思います」と、大笑いする。いまはまだ学校が楽しく、将来をちゃんと考える年齢でもないようだ。ただ、生稲に似たのだろうか、テレビを見るのは大好きなのだとか。 「もし芸能をやりたいと言われたら……のほほんとした私を見て勘違いしているといけないので、大変で難しい世界なんだよってことはちゃんと伝えようと思います。それでもやりたいなら何事も経験、別に成功しなくてもいいからやらせると思います。うちの親は千葉の田舎の人で芸能界入りは大反対だったのですが、私が毎日仕事しているのを見て、少しずつ応援をしてくれるようになって。つらかったらいつでも帰ってきなさいって、いつも言ってくれたんですね。帰る場所があるから頑張ろうって思えたので、もし娘が芸能界に入りたいと言うようになったら、私もそういう存在でいてあげたいと思います」
いまあらためて芸能界とは? がんになって気づいた「普通に生きる」幸せ
それでは生稲にとって、いまあらためて芸能界とはどういう場所なのか。 「いまはすごく、ラクな場所ですね。若いときは、こうしなきゃああしなきゃって思いがあって、同世代のタレントさんの動きが気になったりもして、素直にいろんなものを見られなかったんです。50歳になって、すごくラクになったんですね。いまの私を番組やイベントに呼んでくださるのだから、この芸能界で歳を重ねてきた私のいまの素直な状態を見せればいいのかなって。すごく気持ちが楽になって、いまが一番楽しいですね。子育てもしているので、半分は芸能界、半分は普通の母親。2つの自分を持っていられることで、芸能界も楽しくできるのかなって思います」 あえて気負って考えていることはないという。 「がんになって気づいたことですが、普通に生きるっていうのが一番幸せなんだってことです。でも、それが一番難しいことでもあるんだって。生きていればいろいろ大変なこともありますから、普通を保つことはすごく難しい。だからこそ、普通に生きることが一番尊いことだと学んだので、心がけているといえばそこかもしれません」 インタビューの始まりも、途中も、終わってからも、肩の力が抜けた素敵な笑顔が心に残った。とくに大受けする笑い話などがあったわけではないが、終始、楽しい雰囲気に包まれていて、笑顔が絶えない。国民的アイドルの笑顔に、消費期限はなさそうだ。 (取材・文・撮影:志和浩司、衣裳協力:ABRAHAM)