生稲晃子、怖かった二度目の乳がん再発 “普通”に接してくれた家族に感謝
しかしそれは同時に、プレッシャーでもあった。 「あるとき、先輩の女優さんが私の舞台を観劇してくださったのですが、『頑張ったね。最初は、おニャン子ちゃんにできるのかな?って思ってた』って言われたんです。ポスターに写真を大きく載せていただいたり、下積みを何もしていない自分がいきなりでしたから。稽古場でも、一緒に舞台をつくりあげていく皆さんの目をすごく感じましたし、緊張感がありました。でもやっぱり、ここで頑張れば皆さんといい関係を築けるんだって、ポジティブな考え方に変えていったんです」 舞台が終わると、共演者たちからも「良かったよ」と激励されたという。壁にぶつかるたび、そうやってポジティブな方向へ自分を転換し、乗り越えてきた。 「いっぱいある壁を、なんとか叩いて、叩いて、ここまできたっていう感じです。私にはとくに自慢できるものは何もなくて、ずっとコンプレックスの塊で30年間やってきたなっていう感じがするんです」
乳がん二度目の再発時には最悪の事態も覚悟 普通に接してくれた家族に感謝
大きな壁の一つに、2011年に告知された乳がんがある。12年に再発、13年に二度目の再発を経験する。 「ショックしかなかった。がんっていう二文字は、怖いです。二度目の再発のときは、医師から次に再発したら危険ですといわれ、右胸の全摘手術を受けました。あのときは、最悪のことも心に入れておかないといけないのかなって思い、気持ちがどん底までいきました」 その後、15年には右乳房の再建手術を受け、自らのがんを公表した。いまでは闘病体験の講演活動なども行っているが、苦しいとき支えになってくれたのは家族だという。 「夫と娘が心の支えになってくれました。とくに何かやさしい言葉をかけてもらうってことではなくて、普通に生活させてくれたんです。がんだってことを忘れられた。やっぱり私がいなきゃこの家はまわらない、だから頑張らなきゃって思わせてくれた。普通に接してくれた家族にはすごく感謝しています」