日田市は「脚物」得意な家具産地だが「検索しても出てこない」…ブランド確立へ新タイプ「教育用家具」
大分県内には、各地の伝統や文化を伝承、進化させようと挑戦する人たちがいる。その姿を紹介する。 【写真】新しい挑戦を続ける日田家具衆のメンバー
「わーっ、きれい」
昨年12月16日、日田市立三和小学校の体育館に子どもたちの歓声が響き渡った。子どもたちは日田杉を使った机と椅子を教室に持ち帰り、天板をさするなどして独特の感触を楽しんだ。
市教育委員会は2023年度から、小中学校の机と椅子の更新を始め、28年度までに全30校で終える計画だ。杉の産地ならではの教育用家具をプロデュースしたのは協同組合「日田家具工業会」を母体に活動する「日田家具衆」のメンバー8人。天板を着脱式にするなどの工夫を施した。
「傷が付いたり汚れたりしても、地元の木工所に持ち込んで修繕すれば大丈夫。子どもたちに木の美しさや香り、触感を伝え、郷土愛を育んでもらいたかった」。メンバーのベストリビング社長、中村広樹さん(51)は思いを語る。
「きみの木」と名づけた新しいタイプの教育用家具は関係者の注目を集め、他の自治体からも引き合いがあるという。
全国有数の家具産地、福岡県大川市がタンスに代表される「箱物」で名を売ったのに対し、日田はソファやダイニングテーブルなどの「脚物」を得意とする。
戦後、独楽や木の椀を作るろくろ技術を基盤に食堂用の丸椅子や飯台を手がけたのが始まりとされ、生活スタイルの洋風化に合わせてダイニングやリビングセットなどへと移行した。
国内の家具・インテリア業界は1990年代初頭まで右肩上がりの成長を続け、日田も活気づいていたというが、中村さんらには気がかりなことがあった。
「今もそうだけれど、ネットで『日本の家具産地』を検索しても日田が出てこない。(北から)北海道の旭川、岐阜の飛騨高山、大川などへと下りて、次は宮崎の都城に飛んでしまう。日田は、ものを売るだけで名前を売ってこなかった」
日田家具衆は、そんな危機感を共有する経営者や後継者、デザイナーらが集まって16年に活動を始めた。技術の向上と次世代への継承に加え、産地としてのブランド確立を目標に掲げている。