ポステコグルーにとって、日本がこの上なく難しい環境だった理由とは?「一部の選手がアンジェに不安を抱いていた」
ポステコグルーに強い反発を見せる選手たちとの仲介役
ポステコグルーはもう一つ、初めての試みとしてあるスタッフを任命した。それが今矢だ。 元サッカー選手で野心的な指導者でもあった今矢は、英語を話すスタッフと、最初からポステコグルーに強い反発を見せる選手たちの仲介役となった。そして、ポステコグルーは今矢と一心同体と呼べるほどの関係を築くことで、選手の心に触れられるようになった。通訳との以心伝心により、子ども時代や家族といった深い話題を積極的に選ぶことができた。当時の選手たちはその頃のスピーチについて、本当に心が奮い立ったと振り返っている。 今矢はポステコグルーが横浜F・マリノスの監督に就任する1年前から彼と面識があり、下部リーグのクラブの指導者を辞めて通訳になった。 「そのクラブには8年いました。もちろん思い入れはありましたし、去るのはつらかった。でも同時に、アンジェのすぐ隣にいられることに対して、何てチャンスだ、と。自分も将来は監督になりたかったので、『すごい。アンジェのそばで1年間働けるなら、お金を払う人だっているくらいだ』と思いました」 今矢はサッカー史上最も単純だったかもしれない契約交渉を済ませ、仕事を始めた。そして、ときに和解の余地のなさそうな対立の真っ只中にはまり込んだ。そこでは、一言一句に細心の注意を払うことが求められた。 古典的な“電球ジョーク”(訳注:電球を取り替える場面設定に合わせ、特定の職業や民族の特徴をからかう冗談)に通訳者バージョンがある。「電球1個を取り替えるのに必要な通訳は何人?」「そりゃ当然、文脈(状況)次第だよ」というやつだ。 当時の今矢はというと、ロッカールームに入り、ポステコグルーが話をするたびに、難解な文脈のなかでの仕事を強いられていた。望まない話を密室で聞かされる選手の不信感が目に映り、その不服ぶりを肌で感じられる場での通訳は、決してやりやすくはなかっただろう。まれなケースではあったが、ポステコグルーがロッカールームに入ったときの張り詰めた空気を今矢が感じとり損ねたときは、新監督への反発がどれほど根深いかをすぐに思い知らされることになった。