ポステコグルーにとって、日本がこの上なく難しい環境だった理由とは?「一部の選手がアンジェに不安を抱いていた」
日本がこの上なく難しい環境だった理由
ポステコグルーは懐疑論者に打ち克つ。仮に大幅に選手を入れ替えることになっても、信じることを頑なに拒む者を一掃する。信念の中核となる部分について、一切の妥協を拒否する。ただ勝つだけでなく、あらゆる人の想像をはるかに超える長期的なレガシーを残すことを目指す。 しかし、日本では多少のひねりが加わった。まず、言葉の壁を乗り越え、カルチャーショックに対処しなければならなかった。サッカーにおいても、未知の領域を進みながら自分のメッセージのどこを修正すべきか判別し、死守すべき聖域を決める必要があった。母国のオーストラリアや、もう一つの母国であるギリシャのチームを率いたこれまでとは違い、仕事の難易度が格段に上がっていたということだ。だが、その苦労はまた、栄光の瞬間に事欠かないポステコグルーの監督人生において、2019年のJリーグ制覇(しかも、最終節で2位チームを直接下しての優勝)が格別に甘美な瞬間になる理由でもあった。 ポステコグルーは今、日本のサッカーに不可逆的な変化をもたらした人物として、日本で深く尊敬されている。その理由は、堅牢さと規則正しさに傾きがちな競争の場において、より大胆な戦術が機能しうるのを証明したことだけではない。サッカー国として世界での立場が不安定だった日本に自らの姿勢を改めさせ、目標を定め直させたからだ。 しかし、2017年末の衝撃的なサッカルーズ(オーストラリア代表の愛称)監督退任後の挑戦の場として、日本がこの上なく難しい環境だったことは本人も認めている。その理由は、前シーズンに降格争いをしていたチームを引き継ぐことだけではなかった。過去の問題解決でほぼ例外なく頼ってきた道具に頼らず、奇跡を起こさなければならなかったからだ。 「どうしたら構想を実現できるだろうか。チームに求めるプレーは明確だが、自分にとって最も強力な手段は言葉だ。今度はそれが使えない」。ポステコグルーは2019年、オーストラリアメディアとのインタビューで、日本で仕事を始めるうえでこう自問したと述べている。 彼はその後、映像分析に一段と力を入れることに答えを見いだし、言葉での説明に劣らぬ価値が視覚的な説明にあることを学んでいった。さらに、映像に着目したことで、監督として非常に明確で有益な副産物を得た。その一つが、彼自身が好み、いまやあらゆるレベルで取り入れられている“偽サイドバック”戦術だ。