JBAから熊本ヴォルターズGMへ、日本代表を支えた七川竜寛が目指す理想像(後編)「ヴォルターズを身近に感じてほしい」
「地元に帰りたい思い」は常にあったので、タイミングだったのかもしれません
熊本ヴォルターズではスポーツ事業部長を兼任し、バスケットボールスクール、ユースチームの育成部門からトップチームまでを一貫して管轄する。出身地でもある熊本に帰ってきた七川氏が、新たな立場で熊本ヴォルターズに携わることになった経緯と、七川氏の描く『熊本のこれから』について語った。 ――日本バスケットボール協会を辞めて、地元である熊本ヴォルターズでGMをやることになった経緯について教えてください。 ワールドカップが終わって、コロナ禍の時から「場所にとらわれない働き方」を考えていました。自分の家族のことや、いろいろなことを考えた時に、メインの仕事は合宿や海外の遠征なので、それなら実家の熊本にいながらでもいけるんじゃないかって思い始めたのが最初です。 ワールドカップが終わって熊本ヴォルターズの当時の社長の福田(拓哉)さんが、僕が地元に帰ってきてるのを知って「七川さんみたいな熊本にゆかりがある人がやるべきだと思う」みたいな話をしてくれました。当時はワールドカップが始まる直前だったので、ワールドカップが終わったタイミングでもう一度コンタクトを取り、去年の10月に「オリンピックが終わってからだとシーズン直前になりますが、それでもよければ話をさせてください」と伝えたら、「もちろん」と言ってくれて、話が始まった感じです。 ――地元で働きたいという思いは少なからずありましたか? 「熊本に戻りたい」というのはずっとあって、パナソニック(トライアンズ)にいた時もそうですし、最終的には自分の地元で何か仕事をできたらと思っていました。バスケットに関われると思ってはいませんでしたが、パナソニックがなくなるときに熊本にプロチーム(ヴォルターズ)ができて、一気にそれが現実的になって、何かしらでそこに関われるチャンスがあればいいなとは思っていました。タイミングだったのかもしれませんね。 ――GMとして地元に帰ってきましたが、熊本ヴォルターズに対するイメージを教えてください。 熊本には小林慎太郎選手がいて、彼とはいろいろな相談や話もしていました。リーグが始まった当初に熊本地震(2016年)で大きな被害を受けて、リーグ戦もできない状況だった中で、ヴォルターズはいろいろな動きをしました。次のシーズンの入場者数がとんでもなく多くなって、それを僕はヴォルターズ側ではなくJBA側から毎週の入場者数を見ていたので、B1とかB2を含めても熊本がずっと上にいるというイメージがすごく強かったです。 今シーズンの開幕戦も、体育館のキャパがそこまで多くない中で4000人ぐらいのお客さんが入ってくれて、ポテンシャルはすごいと思います。実際、クラブは2023年3月に経営再建をし、桜十字グループが母体の中心となり安定していると思いますが、B2ですし……。今は、答えも何も「何が問題か」を分かっていない状況かなと。