132カ国めぐった“バックパッカー”弁護士 旅の中「世界の裁判」を傍聴して気づかされたもの
「バックパッカー」として世界各地を飛び回り、行く先々で“裁判傍聴”をしている弁護士がいる。南スーダンに出張中(インタビュー時)の原口侑子弁護士だ。 【写真】髪を“ブレイズヘアー”にしている原口弁護士 東大法学部を卒業後、大手弁護士事務所に所属。“エリート”だったが、2年で事務所を辞め、バックパックひとつ抱えて旅に出ることに……。 なぜ各国で傍聴を続けるのか。異国の地で傍聴するうちに見えてきた「日本の司法制度」の課題は何か。自らの旅と、旅先で傍聴した裁判の様子を綴った『ぶらり世界裁判放浪記』(幻冬舎)を今年7月に上梓した原口弁護士に聞いた。
世界中で裁判を傍聴するワケ
――なぜ弁護士を一度辞め、世界一周旅行など「バックパッカー」としての活動をはじめたのでしょうか。 原口侑子弁護士(以下、原口):弁護士になる前の学生時代からバックパッカーとして各地を旅していましたので、転職の機会に旅に戻ることは自然な流れでした。あまり活動という感覚はなかったですね。 ――今は世界中で裁判傍聴をしておられますが、一番はじめに海外で傍聴してみようと思ったきっかけはありますか? 原口:エチオピアに滞在しているとき、日本の弁護士仲間に「エチオピアの裁判ってどうなってるの?」と聞かれ、裁判所を見に行こうと思い立ちました。最初は緊張しましたが、意外とスムーズに入れたので、その後に訪れた国でもトライしているうちに習慣になりました。 ――書籍発行後も含め、これまで何カ国に渡航し、何カ国で裁判傍聴を行ったのでしょうか。 原口:渡航したのは、今滞在している南スーダンを含めて132カ国です(パレスチナと台湾の2カ国を含む)。裁判傍聴はそのうち40~50カ国くらいで行ったと思います。
日本と海外の“司法制度”の違い
――これまで見てきた裁判の中で、特に日本との違いに驚いたことや、衝撃を受けた裁判があれば教えてください。 原口:ひとつはアフリカ南部のマラウイで行われていた青空裁判です。東屋のような裁判スペースの中で、水やバナナの売り子(おばさん)が歩き回っていました。日本の法廷では私語禁止だし、無意味と思うくらい厳格なルールがいろいろありますよね。 もうひとつはブラジルで、裁判の審理がテレビ公開されていることを知ったとき。日本の裁判では、マスコミが事前に申請して、被告が出廷する前の“ほぼ静止画状態”の法廷を2分ほど撮影できるくらいなので、「公開」の度合いも気合いも違うと感じました。 ――いわゆる“お国柄”もあるのでしょうか。ほかに、裁判や裁判所で「ここならでは」と感じた国・地域はありますか? 原口:結局「お国柄は一般論では語れない」というのが、裁判傍聴の旅を経ての学びです。 ただ、それぞれの国や地域で「人口が少ない国だから夏休みの休廷期間が短いのかな」「北欧は司法も透明性が高そうだから裁判審理もオープンなのかな」など思うことはいろいろとありました。しかし、それらと「お国柄」との関係を語れるほどには深く知らない国が多いので、「お国柄と裁判の関係」は今後の研究の中で深掘りしていきたいですね。 ――世界の裁判を見てきた原口弁護士が、日本の裁判や司法制度に思うことがあれば、「良い部分」も「悪い部分」も教えてください。 原口:たくさんありますが、まず緻密で官僚的で予測しやすいことは日本の良い部分でも悪い部分でもあって、裁判が機械的に処理されることで1人1人のナラティブ(物語)が軽視されがちになるとは感じます。裁判官にもよりますし、すべてエモーショナルであれと思っているわけでもないのですが。 もちろん、海外の裁判でもエモーショナルなものもあればベルトコンベア裁判もあるので、こちらも一般化はできないなと思います。 ――日本は司法と一般の人々との距離が遠いと指摘されることもありますが、海外と比べていかがでしょうか? 原口:遠いですね。たとえば日本では、刑事事件で起訴されて「被告人」というラベルを貼られたら……というより、むしろ逮捕されて被疑者になったが最後、「あっち側の人」という扱いをされる。それは司法の「遠さ」とニワトリ卵の関係であるような気がします。 裁判が遠い場所にあるからそっちに行きたくないし、行った人は同じ人間でも違う扱いをされる。だけど本来は同じ人間で、特に冤罪事件の歴史を見ていると誰がそこにいてもおかしくないのだよなと思います。