132カ国めぐった“バックパッカー”弁護士 旅の中「世界の裁判」を傍聴して気づかされたもの
世界の裁判を見て受けた「影響」
――世界の裁判を見てきた経験から、弁護士としてはどのような影響を受けましたか? 原口:刑事裁判を受けている人は「悪い人」でもないし、民事や行政裁判を始める人は「かわいそう」でもないということを、今までよりも強く認識するようになりました。 日本では公共訴訟を支援するプラットフォーム(CALL4)を手伝うようになり、裁判についての記事を書くようになりました。「裁判過程」の記事というより、裁判を起こした人たちや裁判をサポートする法曹たちのことを書いています。その根底には、旅の中で得た「裁判は世界のどこでも血の通っている人たちが担っているのだ」という気づきがあります。 海外では東アフリカを中心に法人類学の研究を始め、同時に「司法アクセス」の案件(人びとがもめごとの解決をしやすくするために司法は何をできるか)に携わるようになりました。その中で、もめごとを解決する権威が裁判官より長老にあるような国では、「裁判にせずに村で裁くこととはいったい何なのか」 などを考えるようになりました。日本と同じで、家父長制の伝統が強い国ならではの課題も、仕事や研究を通じて多く見えてきました。 ――ひとりの日本人バックパッカーとしてはどうでしょう。多くの国や裁判所を訪れ、人々と出会って感じたこと、考えたこともあればぜひ教えてください。 原口:本に関わる仕事をしている人が本屋さんを見たり、飲食に携わっている人が屋台巡りをしたり、「旅の中で気になる業界を見にいく」の延長に私の裁判傍聴もあったわけですが、ひとつの業界で完結しているものなんてどこにもないのだと改めて気づかされました。本屋さんも、屋台も、裁判所も、その国の日常の中で多様な人たちを取り込んでぜんぶ繋がっています。たとえば東京地裁の中には本屋があるし、なんなら裁判所の敷地内に屋台が出ている国もあります。 あとは、私は最初、ただただ“旅をするためだけ”に国を訪問することが多かったので、観光客として楽しいこと/美しい場所から入れたのは良かったなと。今まで行ったどこの国も好きになりましたから。