『天幕のジャードゥーガル』でトマトスープさんが紡ぐ、モンゴル後宮譚。彼女たちは「悪」だったのか?
マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。今回は『天幕のジャードゥーガル』作者のトマトスープさんにお話を聞かせていただきました。 『天幕のジャードゥーガル』ほか漫画家さんに訊いた「物語のはじまり」(画像) ●『天幕のジャードゥーガル』あらすじ● 後宮では賢さこそが美しさ。13世紀、世界を揺るがした「モンゴル帝国」の捕虜となり、後宮で働くことになった少女・シタラ。彼女は、当時最高レベルの科学知識を誇るイラン出身の奴隷だった。ささやかな幸せを奪ったモンゴル帝国への復讐を誓うシタラは、ファーティマと名を変え、皇帝・オゴタイの第6夫人で同じくモンゴル帝国に複雑な思いを抱くドレゲネに仕えることに──。歴史マンガの麒麟児・トマトスープが紡ぐ、大帝国を揺るがす女二人のモンゴル後宮譚!
■彼女たちは「悪」だったのか? ──『天幕のジャードゥーガル』を読むと、13世紀の歴史や文化に驚くとともに、トマトスープさんの歴史愛をひしひしと感じます。学生時代から歴史が好きだったのでしょうか? 学校の歴史の成績が特によかったわけではないのですが(笑)、最初は大河ドラマや小説などのフィクションから歴史に興味を持ちました。子どもの頃に見た大河ドラマの『新選組!』が大好きだったんです。最後には散っていく人たちをドラマの前半では本当に楽しく描き、後半で次々に悲劇が起こる。重い作劇でしたが、歴史を知らなくても心を揺さぶられる作品で、そこから歴史フィクションに興味を持つようになりました。 ──ドレゲネとファーティマに関する史実だけを見ると、『天幕のジャードゥーガル』にも『新選組!』と共通する部分があるように感じます。歴史フィクションの面白さを特に感じるのはどんな部分ですか? 今とは時代が異なるので、ファンタジーにも近い構造があるんですよね。今より少し不自由で、テクノロジーはまだ進んでいないし、倫理観も異なる世界だからこそ表現できるドラマ性があります。経済活動はもちろん人権のとらえ方やフラストレーションのため方など、考え方全部が違うし、それらを調べて知っていく過程にも夢中になりました。 ──本作で描かれている、モンゴル帝国後宮の女性たちに関心を持ったきっかけは? 私は物語上“悪役”とされるキャラクターにひかれることが多いのですが、モンゴル帝国の正史で割と悪役として描かれている一人にドレゲネがいました。なぜ彼女がそんなふうに言われたのかが気になって調べるうちに、なかなか魅力的な人だったんじゃないかという気がしたんです。さらに彼女の側近であるファーティマという女性は、高貴な出自ではないのにドレゲネがなんでも相談したと言われている。「この二人、一体どんな人たちだったんだろう?」と、どんどん興味が湧いてきて…。 モンゴル帝国が他国との戦争で大変強かったことは知られていますが、内政についての物語が少ないことも好奇心をくすぐりました。「共働き文化」とでも言いますか、女性たちが果たす役割が決して小さくない点も面白いですよね。 ──「ジャードゥーガル」とはペルシア語で「魔女」を意味する言葉だそうですが、本作には一種ピカレスク(悪漢)的な魅力もありますね。 歴史上の「悪」はつきつめると敗者に集約されていきますが、負けた側の話を知るとまた見えてくるものが変わります。単純に悪とは言い切れない部分もありますし、もし自分だったらどうしただろうかと考えたりして、想像力を刺激されますね。 ■奪われた側から見た「知」のストーリー ──主人公をドレゲネではなくファーティマにしたのはどうしてですか? 最初はドレゲネを主人公に想定していたのですが、彼女は貴婦人なのであまり動き回ることができないんです。侍女で相談役だったファーティマのほうが、物語上いろんなところに行っていろんな人に会ってくれるような気がしました。また、ファーティマの出自をイランの学者の家庭に設定すれば、13世紀におけるイスラム世界の知的先進性を描けそうだというアイディアもありました。迷った末に編集さんに「ドレゲネ版」と「ファーティマ版」の2種類のプロットを出して、「ファーティマでいきましょう」ということになりました。 ──現在コミックスは4巻。ファーティマことシタラは、物語が進むにつれてより複雑な人物像になってきたように感じます。確かに知の力で戦っているのですが、賢く立ち回るというより、どこか不器用ですよね。 そうなんです。最初はもっとしたたかなキャラクターとして描くつもりだったのですが、生い立ちを構成していくうちに「違う」と。現実でもさまざまな戦争が起こりだした時期と重なったこともあり、彼女は飄々と生きたのではなく、深い痛みや怒りを抱えているのではないかと考え直しました。 ──「勉強して賢くなればどんなに困ったことが起きたって何をすれば一番いいかわかるんだ」「それは絶対に悪いことじゃない」とシタラが教わる名シーンが1巻にあります。その一方で、これは単に知の力や賢さを賛美する物語でもないとも感じます。 私は前作『ダンピアのおいしい冒険』でも知的好奇心をテーマとして扱いましたが、そのときは17世紀の海洋世界を舞台に、主人公のダンピアをまっすぐな好奇心に満ちた人物としてポジティブに描いたんです。ただ、それは一方で収奪と裏表であって、実は暴力的な面を秘めていることもずっと感じていました。そこで、『天幕のジャードゥーガル』では奪われた側の視点から知の物語を描こうと考えました。 ──だから知の底知れなさが全編に漂うんですね。さまざまな人物が登場しますが、それぞれの出自や考え方によって知性のあり方が異なります。 13世紀のモンゴルは領土も大変広く、世界中の文化を巻き込んでいきました。それまで東西各地で行われてきた知的な積み上げが、ひとつの場所に出そろい意見交換できるようになったわけです。当時のモンゴルは、そんなすごい舞台装置でもあります。 シタラは頭でっかちで、自分では賢いと思っているけれど実はだいぶ不器用な子。シタラが反発するソルコクタニは純粋な好奇心の人、ボラクチンはある意味オタク的な人…。この物語では賢さの種類がバトルマンガで言う特性や技のようなものなので、できるだけ色々な角度から描きたいと思っています。 ■二人組の関係性は、簡単に名前がつけられるほど種類が少ないわけじゃない ──ファーティマとドレゲネ、女性二人の共闘がこの作品の重要なポイントになっていますが、この二人の関係についてはどんな思いを持っていますか? ファーティマが主人公だとしたら、ドレゲネがヒロインだろうなと最初から考えていました。彼女たちが信頼し合って絆を深めていく物語にしたいと思っていますので、二人の関係性は大事に描きたいですね。キャラクター同士のリレーションシップって、「友情」とか「愛」とか簡単に名前がつけられるほど種類が少ないわけではないと思うんです。ひと言では表せない関係を表現できるのがマンガですし、そのほうが読む方も面白いんじゃないかと。せっかく連載という形で長くこのお話を描けることになりましたので、少しずつ歩み寄ったり、考え方が食い違うときもあったり、というところを丁寧に描きたいです。 ──実はドレゲネの夫で第二代皇帝のオゴタイが気になっていまして…。憎むべき存在のはずなのに、何か不思議な魅力を持った人物ですよね。 私自身、このマンガを描くだいぶ前からオゴタイに関心がありました。モンゴル帝国といえば初代皇帝チンギス・ハンが有名ですが、一人のカリスマが率いる集団から行政機関を持つ帝国へと移行させたのがオゴタイです。着実に仕事をした、ある意味いちばん怖い人。ちょっと計り知れない人物なんです。私自身はまったく人の上に立つ人間ではないので、彼の内面がよくわからないんですよ(笑)。でもそれでいいんじゃないかと思い、オゴタイは普通の人からはまったく理解されないまま地位を固めていく不思議な人として描くことにしました。4巻でオゴタイとファーティマが星の話から言葉を交わすシーンを描いたのですが、今後を予見させるものとしてささやかながらもよくできた気がして、自分でも気に入っています。 ──今後の展開も気になります。 そろそろ西暦1235年に入り、モンゴル帝国では歴史に残る事件が次々に起きて怒涛の展開になります! ここからまた登場するキャラクターたちが少し増えますが、面白く読んでいただけるよう頑張ります。 ──楽しみです。『天幕のジャードゥーガル』もそうですが、歴史マンガって、たとえ史実を知っていたとしても、その道のりのなかで人間の生々しい魅力を教えてくれますね。 ちょっと二次創作に通じる面白さがあるんですよね。「私はこの人のここがかっこいいと思う!」とか「この事件ってこんなふうに解釈できるんじゃない?」という自分の意見を込めて描くというか…。完全なオリジナルストーリーを描くのとは少し違っていて、1.5次創作みたいな感覚です(笑)。今、もしかしたら昔『新選組!』を見て感じた面白さに近いことが、自分でもちょっとできているのかもしれないと感じています。ファーティマとドレゲネが史実に残る最後と同じ場所に本当に行きつくのかどうかも含めて、つづきを楽しみにしていただけたらうれしいです。 漫画家 トマトスープ とまとすーぷ●「Souffle」にて『天幕のジャードゥーガル』(秋田書店)、「WINGS」にて『奸臣スムバト』(新書館)連載中。完結作に『ダンピアのおいしい冒険』(イースト・プレス)。他、趣味で主に中世~近世の世界史をテーマとした歴史漫画を製作。 マンガライター 横井周子 マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。 画像デザイン/齋藤春香 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀
『天幕のジャードゥーガル』 トマトスープ ¥660/秋田書店