<ルポ・ニューヨーク進出の獺祭>新たな食文化の発信へ、合理化の真逆をいく酒造りとは
成功するかは分からないそれでも打席に立つ
「獺祭ブルーは、現地向けに度数を2度下げて14%にしています。ただ、『新しい価値を創る』と、カッコいいことを言っても、それがまだ実現できているわけではありません。それでも、現地採用のスタッフたちがイタリアンレストランに飛び込み営業をしてみるなど、既存というよりは新規の開拓を進めています。現状では、課題ばかりと言っても過言ではありません」 桜井氏は、獺祭ブルーの現在地についてこのように率直に語ってくれた。しかし、それこそが獺祭のDNAだ。それは獺祭NYの松藤氏らにもしっかりと受け継がれている。 「(先代の)桜井会長には、『上手くいくかどうかで立ち止まるのではなく、まずはバッターボックスに立つことが大事』と教わり、その思いのもと、仕事と向き合ってきました。まさか自分がニューヨークに異動するとは思ってもみませんでしたが、アメリカでの日本酒の消費量は日本に比べるとまだまだ少ない。だからこそ、伸びしろがあると思っています。こちらの人たちの選択肢の一つとして、日本酒の存在感をもっともっと高めていきたいです」(松藤氏) 桜井氏の父である博志会長は今、日本とニューヨークを頻繁に行き来しながら、松藤氏ら現地スタッフとともに借り上げたアパートで過ごし、精力的に飛び回っているという。博志氏は、倒産寸前まで追い込まれながら、地元岩国では4番手だった蔵元から、未開の東京、世界へと販路を開拓した。上手くいくかは、分からないが、やってみないと何も始まらない。だからこそ、獺祭は全力で走り続けている。
友森敏雄