朝ドラ『虎に翼』桜川涼子の元夫・有馬胤頼とは何者なのか? 旧華族の有馬家をイメージさせる人物設定
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では第17週「女の情に蛇が住む?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)は新潟で明律大学女子部時代の同期・桜川涼子(演:桜井ユキ)と元付き人の村沢玉(演:羽瀬川なぎ)と再会する。涼子は結婚した有馬男爵家の子息と離縁し、新潟にあった別荘を売却して残ったお金で喫茶店「Lighthouse」をオープンしたという。涼子の結婚生活、そしてお相手だった有馬胤頼(たねより)氏とは何者だったのだろうか? ■謎に包まれた涼子の結婚相手の人物像 第17週では、テーマのひとつに「元華族令嬢と付き人の身分を越えた友情」がある。涼子自身が述べたように、かつては日傘を差すのも、お弁当の蓋を開けるのもすべて玉が行っていた。一方涼子は当時から玉を1人の人間として大切に想っており、英語を教えるなど、令嬢と使用人に留まらない関係性を築いていた。 そんな2人が戦争を生き抜き、華族制度廃止を経て共に新潟で新生活を始めた経緯が徐々に明かされた。戦前、涼子は桜川男爵家を存続させ、使用人たちの生活を守るために有馬男爵家の子息・有馬胤頼氏と結婚したが、彼とは離縁したという。 その涼子が婚約した際の新聞記事では「帝国大学を卒業後に宮内省に入省」と紹介されていたことから、非常に優秀な人物であることが窺える。その上涼子が「お気立ての良い方でした」と口にしたことから、穏和な性格だったのだろう。余談だが、涼子はかつて山田よね(演:土居志央梨)を「お気立てに難がおあり」と評したことがあり、このセリフを思い出した視聴者も多かったのではないだろうか。 涼子自身は離縁について「桜川家から解放して差し上げたかった」と語っていることから、夫婦仲も決して険悪なものではなかったように見受けられる。ただ、お互いが「家のため」に結婚したものだから、心の底から慈しむというよりは、どこかよそよそしい関係性になっていたのではないか。それが涼子が吐露した「本当の夫婦にはなれなかった」ということなのだろう。 ■史実の有馬家をイメージしたキャラクター設定か? 史実で「有馬家」といえば、有馬記念などに名を残す旧華族の一族だろう。名前に「頼」を入れていることから、有馬一族を意識してつくられたキャラクターであることはほぼ間違いない。 摂津有馬氏、赤松有馬氏と呼ばれる氏族は、江戸時代に筑後国久留米藩主家などを輩出した後、維新後に伯爵家、子爵家、男爵家の3つに分かれている。 まず最後の久留米藩主・有馬頼咸(よりしげ)氏の五男・頼万(よりつむ)氏が明治17年(1884)の華族令によって伯爵に叙せられた。その息子である2代伯爵・頼寧(よりやす)氏は大正・昭和期に政治家として活躍。戦前は農林大臣などを歴任した。戦後、日本中央競馬会第2代理事長に就任し、「有馬記念」にその名前を残している。その頼寧氏の三男・頼義氏は作家として成功を収め、第31回直木賞を受賞した。 有馬子爵家のはじまりは最後の吹上藩主・有馬氏弘氏で、前述の頼咸氏の子である頼之氏がその養子に入り、華族令によって子爵に叙された。しかし、頼之氏の子である聰頼氏は、太平洋戦争中の昭和18年(1943)に爵位を返上している。 そして有馬男爵家だ。頼咸氏の八男・頼多氏が伯爵家から分家し、宮内省に認められて明治30年(1897)に男爵に叙せられた。 涼子の元夫・胤頼氏なる人物もまた、「華族制度」によって自由な恋愛・結婚をすることが許されず、家に縛られた人生を送ってきたことを窺わせる。涼子は離縁によって玉と共に新たな人生のスタートを切ったが、お相手だった彼もまた自由な人生を歩んでくれることを願いたい。 ※掲載写真は有馬頼寧氏(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)
歴史人編集部