邦画サントラがほとんど無かった1970年代、『ゴジラ』のレコードは飛ぶように売れた…その「驚きの舞台裏」
伊福部昭にとっての『ゴジラ』
一一音だけで聴いても強烈なシーンですよね。それで出来たのが1978年に出された1枚目の『ゴジラ』だったわけですね。並行して作曲家毎のシリーズ(『日本の映画音楽』)も続けられて。 邦画のサントラをこういう形で作ったのはたしかに初めてだったらしいです。でも僕はそんなことは解らずに高名な作曲家の人たちに会えるのが面白くてね。ライナーノーツをまとめて下さった貝山さんから映画音楽界の実情とかいろんな話を聞くのも楽しかった。全部で11枚。それと並行して『ゴジラ』から『ゴジラ2』『ゴジラ3』と出したんですけれども、『ゴジラ』は続編を作れるとは思ってなかったから、最初の1枚にシリーズの主要曲を詰め込み過ぎて、2枚目からの構成に苦労しました。 3枚目になると70年代になってからの主題歌も入れたりして苦肉の策だったけれども、それが意外と好評だったりもしましたね。東宝特撮が終わったら大映の『ガメラ』とかもう根こそぎやりましたね。 実は伊福部先生は最初はあまり快く思っていらっしゃらなかったようなんですよ。やっぱり、伊福部昭とか早坂文雄っていう当時まだ若かった世代の作曲家は純音楽を書くのが最終的な目標で、その手前にある映画音楽は最終目標ではなかった。ある種生活のためといいますかね。でも決して手を抜いたとかそういうことではない。 実際映画音楽の現場はスケジュールも仕事量も過酷ですよ。その辺りは大衆性と芸術性の兼ね合いもあって難しいところなんだけれども、 そこはどうしたって、『ゴジラ』や『七人の侍』があったからこそ、伊福部昭や早坂文雄の名が一般的にもここまで浸透したということは事実なんでしょうね。 一一ちょうどその頃興っていた第3次特撮ブームと呼ばれる、マニア視点で作品が見直される時期と重なったことも大きかったと思います。そういった若い新たなファンの出現を伊福部先生はどう思われていたでしょうか。 それはもちろん嬉しかったんだろうと思いますよ。1983年に伊福部先生の映画音楽のコンサート(『伊福部昭:SF特撮映画音楽の夕べ』)が催された折、僕も手伝いに行って会場にいたんだけど、音楽業界の方々も見にいらしていて。ファンが多かったということですよね。先生は博学だから、世代が違う相手と話をする時もありとあらゆる話題に合わせられる、そういう知性を持ってる方でしたからね。 話術も巧みで、こちらが思いついた話題をちょっと振ってもすぐに対応して下さる。いつもそんな風に感じていました。 記事後編は【『ゴジラ』作曲者が「ハリウッド版」を見て、覚えた違和感…元祖ゴジラとの「決定的な違い」があった】から。
鈴木 啓之