二十歳のとき、何をしていたか?/長州力 布団を抱えて降り立った東京駅。夢だったオリンピック出場に向け、練習とアルバイトを繰り返す日々。
革命前の意外な一面。レスリングとの邂逅。
昨今のリバイバルブームから外すことができない1980年代。熱さとパワーに満ち溢れる時代に突如現れたひとりの男を世の人々は「革命戦士」と呼んだ。長州力さんはプロレスを通じ、熱狂の時代をともに生きる〝新人類世代〟の旗頭となって時代を切り裂いていた。 【取材メモ】長州さんをよく知る人の話によれば、自分の過去について、とりわけプロレスラー時代の話題になると途端に口数が少なくなってしまうとか。 2019年のプロレス引退後、現在はタレントとして、テレビ、CM出演に引っ張りだことなっている長州さん。『相席食堂』でのグルメリポートで生まれた「飛ぶぞ!」のフレーズなど、その言語感覚は我々が想像する斜め上をいく。 そんな長州さんの20代には、華々しい舞台で活躍する姿からは想像もつかない、スポーツアスリートとしての一面が存在していた。そのルーツを探るために、話は故郷・山口県で過ごした少年時代まで遡る。 「レスリングを始めたのは中学3年の終わりくらい。それまでは柔道をやっていたんですよ。まだレスリングはそんなに流行ってもいなかったけど、近所でレスリングを子供たちに教えてくれる道場があったんですよ。そこはもともと質屋さんで、建屋の2階を改造してマットを敷いててね。夏休みになったら近所の子供たちがそこに集まるから、自分もパンツ一丁の格好で遊びに行ったんですよ」 山口県柳井市にある斎藤道場は、全国で初めて少年たちにレスリングを指導したことでも知られる日本最古のレスリング道場である。長州さんはここでレスリングの原点に触れ、高校に進学してから本格的に競技生活を始めた。もともと運動神経は抜群。高校3年時にインターハイ準優勝、国体優勝の好成績を収めると、たちまち強豪大学からスカウトの声がかかった。 「今でも思い出すよ。山陽本線の『あさかぜ』に乗ってね。寝台列車だよ。体育寮で使う布団を抱えてさ。親からもらった3万円を腹巻きのなかに入れてね。それで東京駅に着いたはいいけど、出口がわからないんだよ。しかもちょうど朝の通勤ラッシュ。誰に聞いたって『ああ、こっち』と言ってはくれるけどそれがどこかもわからない。布団を抱えたまま駅の構内を30分以上も歩き回ってね。アレは本当にまいったよ」 地方出身者が上京すれば避けては通れない最初の洗礼をご多分に漏れず受けた。都会で目にする光景はどれも新鮮。かつ刺激溢れるものばかりであった。 「大学に入った頃はちょうど学生運動の真っ只中だったんですよ。あるときは体育寮にまで学生がなだれ込んできて、俺たちに向かって『お前らは大学の犬だ!』って罵倒してきてね。それで道路を隔てて少し離れた別の大学のほうからは煙があがっている。本当にめちゃくちゃな時代でしたよ」