意味のない言葉が有機的につながっていく作品群 コラージュ作家MARCOMONKこと大石祐介インタビュー
WWD:ウェブメディア「グッドエラーマガジン(GOOD ERROR MAGAZINE)」では副編集長を務めていますが、その影響も少なからずあるのでしょうか?
大石:自分は編集の仕事をしたことがないので素人。立ち上げ当初にいろんな人に相談したら、「素人のままでいいと思う」と言われたんですよね。その時に、無理に何かになろうとするんじゃなくて、自分たちの発想をいかに表現できるかっていうことが大事と考えるようにはなりました。
WWD:ニューヨークのローカルなライフスタイルをまとめた写真集「LIFE THROUGH MY EYES」もそうでしたが、ライブ感だったり人や街の息づかいを感じるというか、写真が1枚の勝負と考えるとコラージュの考え方は正反対な気がするんですが。
大石:自分でも分かんないです。作品についてはその時の感情とか感覚で作ることが多いので、考えるより動いてますね。子どもの頃からそんな感じだったので、大人になって考えることが多くなると嫌だなとは思ってますね(笑)。ゴールもないし、もしかしたら、もっとおもしろいことに出合うかもしれない。それは写真でも、コラージュでもない違うものにたどり着く可能性もあります。今は写真もコラージュも楽しいですから、やりながらいつか全部変わってしまうかもしれない。
ジャンルを横断する作家の原点
WWD:作品の中にはバスケットボールやダンス、スケートボードという要素がありますが、写真を始めたきっかけなども今回の作品に生きているんですか?
大石:それはあるかもしれないですね。バスケは学生時代に、ダンスも若い頃にやっていたので、自分が生きてきた流れを切り取ったように見えるかもしれませんね。ある部分が過去で、それが今になって表出してくるような。これまで適当に生きてきたけど、 それも無駄になってないっていう使い方をしているのかな。適当さも、だらしなかった時代の“跡”は全部使いたいですね。