乳がんは寛解したけど…命が輝きを見失った日々は「失われた14年」なのか【連載:抱えながら生きて】
この連載は、心配性が高じて人の悩みを聴く仕事を志した北林あいがお届けします。30代で乳がんを経験し、体は元気になったけど心が前を向かず、曇り空の下をうつむいて歩くような状態が長期化。大きな悲しみに直面したときに心という生き物が見せる反応、そしてレジリエンスを発揮できる人と、できにくい人の違い等々。つまずきを抱え、それでもどうにか日々を生きている人に、病から得た気づきをシェアします。 <他の記事も読む>【連載:抱えながら生きて】 ■心が躍動をやめたあの日。今日も浮上の兆しなし がんを経験して生きる人を「がんサバイバー」と呼びます。サバイバーという言葉には困難を生き抜く底力を感じますが、私は力強さとは無縁のメンタル最弱のがん患者でした。36歳で左乳房にがんを発症し、温存手術と放射線治療に続いて7年にわたるホルモン療法を行いました。早期発見のおかげもあり治療自体は順調でしたが、体以上にダメージを受けたのが「心」。そのころ目にした国立がん研究センターがん対策情報センターの資料によると、がん患者の心の状態は段階的に推移し、がんとわかりショックで何も考えられない「衝撃の時期」(第一段階)、治療や生活の不安、落ち込みを繰り返す「抑うつの時期」(第二段階)、そして事実を受け入れてやるべきことに取り組む「適応・立ち直りの時期」(第三段階)へと進みます。個人差はありますが、多くは告知から2~3週間で第三段階に至るそうです。 抑うつの時期が長く続くと適応障害やうつ病を発症する可能性があり、心の専門医のサポートが必要になります。適応障害になると仕事や日常生活が手につかず人によっては引きこもり、重症化してうつ病を発症すると消えてしまいたい衝動に駆られることがあると言います。私の心が立ち直るまでに要した時間は14年。一般的な段階論から自分が大きく外れていると気づいたとき、思い通りにならない心、そして個別性に富む悲しみという感情に興味を持ちました。とはいえ適応障害やうつ病の症状は当てはまらず、働ける、食べられる、寝られる。日常生活に問題はないけど、心にどんよりと雲が立ち込めて前を向けず、明るい未来を描けない。命を輝かせて生きるのが難しいというか、輝くことを自ら放棄していたというのが正解かもしれません。 ■「臆病という病」を発症。何も望まない、だから奪わないで 左乳房にあった石灰化を詳しく検査し「残念ながら悪いものでした」と言われたときは、見知らぬ手で背中を押され、底なし沼に突き落とされた気分でした。乳房にメスを入れるのは女性というアイデンティティの喪失に等しく、いざ手術台に上っても覚悟が決まらず、「やっぱりやめたい」と泣いて麻酔医を困らせたりもしました。 命を輝かせられない理由はなんなのか。がんになったショックが尾を引き、いつかまた日常が壊れるかもしれない恐怖感に縛られて、「変化」に対して強い拒否反応が生まれるようになります。たとえば、楽しいはずの旅行も飛行機事故に遭うかもしれないからやめておこう。魅力的な仕事のオファーが来ても、引き受けた後に再発がわかったら迷惑をかけると思い断ってしまう。踏み出そうとすると「またつまずいたらどうする?」と、もう一人の私が警鐘を鳴らし挑戦心に蓋をしてしまうのです。 望まない代わりに奪わないでほしい。代わり映えしなくていいから淡々と時が過ぎればいいと、当時は本気で思っていました。当初はそれをつらいと感じず、そうした感情にも蓋をしていたのかもしれません。しかし、周りのサバイバー仲間はどんどん再スタートを切っていきます。眩しい背中を眺めながら自分だけ人生を無駄遣いしているようなもどかしさに駆られ、人は人だと自分をなだめすかして見ないふりをしていました。 ■「私」の理解者は私。不完全さを受容し一歩前へ 心が再び進む力を取り戻したのは、グリーフケア(悲嘆のケア)を専門的に学んだのがきっかけです。学びの過程で過去の自分と向き合い、自らの言葉で心の内を語る機会に恵まれました。過去と向き合うのは、言ってみれば壮大な棚卸しみたいな作業。悲しみを抱き直さなければならず、目を背けてきた弱さや苦悩が浮き彫りになりなかなかしんどい。しかし、つらいことをつらいと言葉にできるのはその人の強さの表れであり、言葉にして語る勇気がレジリエンスの着火につながったと思います。 気持ちを言語化すると自己理解が深まり、私自身が「私」の最大の理解者になれたことも大きいです。理解しようと努めるのは自己を大切にすることに等しく、「手がかかるけどひたむきだった私」に労わりのまなざしを向けられたとき一歩を踏み出せたと思います。また、心の内を語ることは行き場のない思いに行き場を与える作業でもあり、その思いを受け止めてくれる相手がいると心は急速に楽になります。これらの気づきを与えてくれるのが弱さの価値であり、人は強いけど弱く、弱いけど強いと教えられる経験を、私はしたのだと思います。 そうは言っても別人のように変われるはずもなく、今もアクセルを踏もうとする自分と、躊躇する自分がせめぎ合うときがあります。そのたびに私を鼓舞してくれるお守りのような詩があり、誰かの支えになればと思いここに紹介します。 危険から守られることを祈るのではなく、 恐れることなく危険に立ち向かう人間になれますように。 痛みが鎮まることを祈るのではなく、 痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。(後略) ―ルビンドラナート・タゴールの詩集『果実採り』よりー 文/北林あい 臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。
北林あい