300年を乗り越えてきた島商 11代目に刻み込まれた「機を見るに敏」
家業を継ぐために苦労したが「ハシゴを外される」
大学生の島田さんにとって、最も想像しやすい家業は、ガソリンスタンドの経営でした。そこで、1996年に昭和シェル(当時)に新卒で入社。「大手で働くことは、業界全体の構造を肌感覚で知ることにも繋がります。大阪支社に配属され、販売促進に従事。グローバル視点での石油ビジネスの知識を得ました」。 ただ、大企業では家業に役立つガソリンスタンドの現場の経験はできない。2年目にガソリンスタンドを運営する企業に転職。1998年から2年、関東近郊で、マネージャー兼サービスマンとして研鑽を積みます。 「朝6時出社、深夜になるまで接客、給油、洗車、ワックスがけ、オイル交換、塗装などあらゆる業務を行なっていました。つらいこともありましたが、その先に家業がある。お客さんのニーズ、困りごとに対して、直接向き合う経験ができたことは、今も大きな力になっています」 現場で実績を積み、家業に入ろうとした2001年ごろ、父から「ガソリン事業は撤退した」と言われます。その時は、温厚な豪さんも「何のために石油会社に入って、現場で何年も修行をしたのか」と声を荒げます。 しかし、父は「今後、カーボンニュートラルの流れが起こる。逆風が起こる前に撤退だ」と30か所以上あった島商の直営スタンドを、別会社に移管してしまったのです。 「家業を継ぐことに向けて頑張ってきましたが、その先がない。でも、父が言う撤退理由もよくわかる。“俺はどうすればいい?”となり、まずは見識を広めようと思ったのです」 島田さんは、米国のサンダーバード大学院へ留学。これは、今後の海外進出の可能性も考えてのことです。「今、英語力を身につけ、世界中の人とのネットワークを構築すれば、次の時代に島商を繋げるための一助になると思ったのです」 世界中のビジネスパーソンが集まる経営大学院では、刺激的な毎日を過ごします。「ここでの学びは、チームになって議論をし、論文を作成すること。大学院身につけたことが、社内の意識統一や課題解決に生きています」。島田さんは1年半で国際経営学修士(MBA)を取得。帰国した2003年、32歳のときに島商に入社します。 「当初は右も左も分からず、ベテランの社員と取引先を回っていました。ベテラン社員は、お客様の倉庫を見ただけで、在庫がわかるスペシャリスト」。取引先からも全幅の信頼を得ており、半自動的に品物を納めるという流れができていました。島商とその社員が築き上げてきた“信頼”を肌で感じます。 島田さんは、この熟練の社員から商売の“呼吸”を学びます。「例えば、油の価格は変動しやすい。取引先に“今、値上がり前なので、多めに20缶入れておきます”などと提案したり、高騰している時は買い控えを提案したり、その塩梅ができるのは私たちの強みです」 取引先との信頼関係を強化すると同時に、多様化も考えます。今、料理は“甘味・酸味・塩味・苦味・うま味”で構成されており、そこに続く味覚として“脂肪味”が着目されています。「料理には油がつきものです。適材適所の油使いを提案できれば、私たちが食文化に貢献できると確信したのです」。 それまで天ぷらやとんかつなど、揚げ物が多い飲食店を中心に取引をしていましたが、その他の料理ジャンルのお店にも積極的に営業をかけます。2011年に代表取締役に就任してからも、飲食店に向けた卸売に注力し、増収増益を続けています。