「もう時代後れ」日本の株式会社が見失ったもの 優秀な社員たちの解放が必要な真っ当な理由
石川氏の祖父である信太氏が2代前の社長で、その座を引き継いでおられるからだが、結果的にバランスがとれているわけだ。 現在も昔のままの駅舎が使われているのは、画家としても有名だった信太氏が駅を近代的に造り替えることを許さなかったからだ。 それが周囲の田畑や菜の花が咲く風景と溶け合い、多くの人を引きつける魅力となっているそうだ。 山間部の鉄道事業は赤字が続き、補修をすることも難しいが、里山の風景こそが最大の魅力。そこで祖父の意思を引き継いだ石川氏も、コストを抑えなから山間部を残そうと尽力している。
しかも、地元の住民たちがそれを支えているというのだから理想的なあり方である。 各駅で自称「勝手連」を結成し、無人駅を清掃し、草刈りをしているのだ。そればかりか、クリスマスシーズンには勝手に駅舎をイルミネーションでライトアップし、集客を促したりもする。 つまりは会社と勝手連が、暗黙の了解で、適度な緊張を保ちながら小さな鉄道を守っているわけだ。 圧巻は年1回の「里山会議」。各駅の勝手連や小湊の社員、市長や役員、住民が、廃校になった小学校に集まる。会議とは名ばかりの飲み会である。
その「会議」で、10年前、石川社長がこう宣言した。 「電車の壁を取っぱらったトロッコ列車を走らせます。時速20キロでゆっくり走る。酒を飲みながら、地元の自然を楽しんでもらう」 そう言って、自ら描いたトロッコの絵を披露した。まるで遊園地の列車が、山の中を走っているような世界観だった。 それってムリじゃね。私は夢物語だと思って聞いていた。 ところが、2年後、実現してしまう。トロッコに乗った観光客が、地元住民と手を振り合って交流する。
(200~201ページより) きっかけは、祖父の言葉だったという。 かつて銀行で再開発事業を手掛けていた石川社長が、「お前、どういう仕事をやってるんだ」と聞かれ、自分の仕事について話すと、祖父から「君がやっていることは破壊だよ。開発じゃねえよ」という返答があったというのだ。 ■時代は逆開発だ! そこで、祖父の死後に社長の座に就いた石川社長は、「逆開発」という方針を打ち立てる。それが、現在にまでつながっているということだ。