【バスケ】「うまくいかない事を…」琉球ゴールデンキングスの平良彰吾、チャンスを手繰り寄せたB3時代の徹底した“自己研鑽思考”
“黄金世代”で役割を模索、ディフェンス磨く
中学進学と同時に船橋市へ引っ越し、船橋中学校に進学した。チームは強くはなかったが、優れたハンドリングやドライブ力を武器に県選抜に選ばれるなど存在感を高めていった。 同じPGだった兄の彰大さんが市立船橋高校の3年だった2010年のウインターカップで4位に入り、自身も大会ベスト5に選ばれたこともあり、平良も後を追った。市立船橋高校では2年から主力を張り、2014年のウインターカップでチームを3位に導いた。 当時、平良にはもう一つ、プレーするチームがあった。中学3年生の頃から招集されていた世代別日本代表である。八村塁や牧隼利、能見悠仁、平岩玄、ナナーダニエル弾などが名を連ねる黄金世代。学年が一つ上で早生まれの前田悟もいた。U16アジア大会で3位となり、U17世界選手権にも出場した。 後にNBA、B1でプレーすることになる選手が集まる好環境が、現在の評価を勝ち取る上で最も大きな理由となっている高いディフェンス力を磨く要因となる。 「当時、オフェンスは自分で攻めるスタイルが一番やりやすく感じていて、チームオフェンスを組み立てることはあまり得意ではありませんでした。だから代表に入った当初は『自分の役割がないな』と感じていました。そんな時、代表のスタッフだったトーステン・ロイブルコーチから『ディフェンスで相手ガードを追い詰めてこい』と言われ、ディフェンスを意識するようになったんです。もともとハードワークをすることは好きだったので、それを評価してもらい、自分としても『武器になるな』と感じました」 控え選手としてコートに立ち、持ち味の高い得点力やハードなディフェンスで流れを変える。「ベンチスタートで試合に出て活躍することの難しさ、大事さも感じました。どんな状況でもブレずに自分のやるべきことを必ずやる。そういうメンタルは当時から変わっていません」。精神面での強さも増した。 さらに拓殖大学時代には「留学生も当たり前にいて相手選手のサイズも上がるので、簡単にドライブはできない。もっと楽に攻められて、チームに貢献できる方法を考え、3Pを磨きました」とオフェンスの幅を広げた。