【バスケ】「うまくいかない事を…」琉球ゴールデンキングスの平良彰吾、チャンスを手繰り寄せたB3時代の徹底した“自己研鑽思考”
怪我で輝かしいキャリアに“影”が…
Bリーグのキャリアが始まったのは2019-20シーズンの途中から。大学4年生だった2020年1月にB2ライジングゼファー福岡の特別指定選手となり、翌シーズンにはプロ契約に。ディフェンスを重視するスペイン人コーチの下で徐々に評価を高め、2020-21シーズンはスタメンを張る試合も増えていった。 「B1でプレーする」。明確な目標に向け、少しずつ前進している感覚があった。その矢先だった。 シーズンの半分ほどを消化した2021年2月にあった佐賀バルーナーズとのアウェー戦。試合中に負傷退場し、右膝外側の半月板を損傷した。当時発表された治療期間は3~6カ月。シーズンの残りを全休した。 ここから、キャリアに影が差し始める。 福岡との契約は更新されず、シーズン終了後も他チームからのオファーは無し。2021-22シーズンの開幕を前になんとかB3のしながわシティバスケットボールクラブと契約を結び、バスケを継続する場は確保できたが、アルバイトをしながら選手活動をする時期もあった。 「キャリアがなかなかうまくいかず、イライラした時もありました」。その後も1シーズンごとに所属チームを変え、湘南ユナイテッドBC、横浜エクセレンスとB3でのプレーが続いた。
苦境の中で“矢印”を自分に 「父の言葉」も後押し
学生時代の輝かしいキャリアから一転、なかなか思い描いたようなプロ生活を送れない日々。B3で過ごした3シーズン、モチベーションが消失することはなかったのか。 答えは「ノー」だ。 「うまくいっていないことで、もちろん不安は感じるし、メンタル的に落ちる時もありました。でも、B1でプレーしたいというモチベーションがなくなることはありませんでした。思い通りにいかないことを嘆くよりも、その状況を楽しみ、いかに打破していくかを考える方が大事だと思っていました」 八村塁はNBAで自らの立ち位置を確立し、牧隼利は2022-23シーズンに琉球でB1優勝を果たすなど、学生時代に同じ「JAPAN」のユニホームを着たメンバーは大きな舞台で既に活躍していた。嫉妬心が全くなかったわけではない。でも、それも意識的にプラス思考に変換した。 「自分と他人を比較することは負の側面もあると思うので、『刺激を受ける』という部分だけを感じ取ろうと思って、モチベーションにしていました。今の自分と過去の自分を比較した方が人生はうまくいくと思っているので、焦りの気持ちはそこまでありませんでした」 自身が苦境にあることを環境や他人のせいにしても、状況は変わらない。だから、あくまで矢印は自分に向ける。自己研鑽を重視する思考が定着している要因の一つに、日本のトップレベルでプレーした父・勝利さんから学生時代に掛けられた言葉がある。 「一生懸命やってる人の方が、観てる人は感動するんだ」 「上手いと言われる人もみんな努力をしてるんだよ」 日々スキルを磨きながら、拠点を置く関東圏で積極的にB1の試合へ足を運び、親戚に会うために沖縄に来た時は沖縄アリーナで琉球の試合を観戦した。「どうやったら、自分もこの舞台でプレーできるんだろう」。B3に身を置いている間も、常に自身が最高峰リーグのコートに立った時のイメージを膨らませ、自らのレベル向上に生かし、“その瞬間”に向けた準備を怠ることはなかった。