<黄泉(よみ)>と<闇(やみ)>の深い関係とは?宗教学者が説く「日本神話の死後の世界」が曖昧で素朴すぎるワケ
◆『古事記』はイザナミの姿を次のように描いている 「ウジがわいてゴロゴロ言っており、頭には大きな雷が、胸には火の雷が、腹には黒い(?)雷が、陰には割くような雷が、左手には若い雷が、右手には土の(?)雷が、左足には鳴る雷が、右足には伏す(?)雷がいた」 ゴロゴロ言うという音は、喉がぜいぜい言うことを意味しているらしいが、死にゆく人の断末魔のようにも思える。 ゴロゴロいうのが雷鳴だとすれば、死体の崩壊というショッキングな出来事を、雷鳴や稲光の恐ろしさにたとえたもののようにも思える。 古代においては、貴人などの葬儀の仕方として、殯(「もがり」あるいは「あらき」と読む)といって死体を喪屋(もや)内に置いて腐敗させ、本格的埋葬まで待つ儀礼が行なわれた。 それを見た人はショックだったはずであり、『古事記』のショッキングな描写はその印象を表わしたものかもしれない。 建前としては、イザナキは葬儀を済まして「霊魂」化した妻を追いかけているはずなのだが(第一のビジョン)、読んでみた限りでは、イザナミは死体そのものであり、黄泉は遺骸安 置所そのものである(第二のビジョン)。 黄泉が地下にあるのか地上にあるのかはっきりしないのも、この矛盾と関係がありそうだ。 ※本稿は『死とは何か-宗教が挑んできた人生最後の謎』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
中村圭志
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