イギリスの政治と日本の政治 何が違うのか 内山融・東京大学大学院教授
5月7日にイギリスで下院の総選挙が予定されている。この機会に、イギリスの政治と日本の政治を比較して、どこが違っており、どこが似ているのか、考えてみたい。
モデルとしてのイギリス
日本では、イギリスの政治をモデルとする考え方がしばしば見られる。1990年代には、イギリスのような二大政党制や政権交代可能な政治を成立させるために小選挙区制を導入すべきだとの論調が強かった。2009年に発足した民主党政権は、「政治主導」を進めるにあたってイギリスの仕組みを参考にした。このようにイギリス政治がモデルとされてきたのは、イギリスが議院内閣制の母国であり、日本も同様の統治制度を採用していることや、それにもかかわらず日英では統治制度の運用実態が大きく異なっていたことが背景にあると考えられる。
首相のリーダーシップ
統治制度として、日本もイギリスも議院内閣制をとっている。すなわち、両国とも、国民が国会議員を選挙し、そうして選ばれた国会(正確に言えば、日本では衆議院、イギリスでは下院)での多数派が内閣を構成するという仕組みである。 このように統治制度が似ているにもかかわらず、日本とイギリスではその運用の実態に対照的な面がある。ここではまず、1990年代頃までの日本政治、つまり小泉政権以前の日本政治に話を絞っておこう。大きな違いは、政策決定における首相のリーダーシップの役割である。 ひとことで言えば、イギリスでは、政策決定において首相や内閣のリーダーシップが強く働く。上が決めて下が従うトップダウン型の政策決定なのである。一方、かつての日本では、官僚や族議員(各政策分野に専門化した議員のことで、建設族・農林族などと呼ばれる)の力が強かった。政策決定においては、官僚が族議員と相談しつつ政策を作り上げ、首相や内閣はそれをほぼそのまま認めることが多かった。つまり、下から積み上げていくボトムアップ型の政策決定であった。民主党政権が「脱官僚支配」を主唱したのも、このように官僚が大きな影響力を持っていたことを反映している。 なぜそのような違いが生じたのか。その原因として、第一には政党のあり方の違いが挙げられる。日本の政党と比べて、イギリスの政党の方が強い求心力を持つということである。すなわち、イギリスでは、党首を中心に所属議員が団結する傾向にある。一方、かつての日本の政党の多くは、そうした求心力が比較的弱かった。 政党の求心力の違いは、個々の議員がどれだけ政党に依存しているかによる。日本の主要政党では、議員個人が後援会という支持組織を持っており、政治資金も多くは議員個人が企業・団体献金などの形で調達していたため、議員が政党に依存する度合いは低かった。そのため、党本部の方針から割合に自立して行動することができた(党本部が掲げる政策と正反対の公約を地元で唱える候補者もしばしば見られた)。 それに対して、イギリスの政党では、政治活動は個人的な組織でなく政党の組織に基づいて行われるし、政治資金も基本的に政党により与えられる。このように票や資金の面で議員が政党に依存しているため、党の求心力が高くなる。議員は党首の意向に従いがちになるのである。 第二に、内閣のあり方と、各省庁での大臣の主導権も異なっていた。イギリスの内閣は首相を中心とした求心力が強く、内閣としてまとまった意思決定を行う傾向にあるが、従来の日本では、閣内での各省大臣の自律性が高く、大臣が各省官僚の代表として行動する面が強かった。首相が必ずしも内閣をまとめられなかったのである。各省庁においても、イギリスでは大臣が主導権を発揮して政策を決定するのが一般的であるが、日本では、官僚の立案した政策を大臣が了承することが多かった。 このように、政党のあり方の違いと、内閣・各省庁での首相・大臣の主導権の違いが、日本とイギリスのリーダーシップの違いをもたらしていた。日本では、族議員の活動を首相(=与党党首)がコントロールしきれず、官僚の主導も許していた。イギリスでは、首相が与党議員と官僚に対して大きな主導権を有していた。