「日本人じゃない」と突きつけられた過去――水原希子、自分らしさとの葛藤の先に
時代が変化していくなかで、自分というものがわからなくなることも
自分の居場所を見つけたら、自分らしさと向き合うこともできるようになる。しかし、自分らしさとは何か、自分とは何か、考えすぎると答えを見失うことがある。 水原:「時代が変化していくなかで、何を選択していくことが大事なのか、選択したものは本当に自分が伝えたいことなのかどうか、わからなくなってしまう。それで自信をなくしたり、自分というものがわからなくなったりすることもあると思うの」 西村:「私は、迷ってもいいし、迷うこと自体が人生の楽しみでもあると思う。自分らしさって固形じゃないじゃない? だから自分でもわからなくなっちゃうものなの。でも迷ったら、自分がハッピーになることを選択していくかな」
水原:「自分の周りの人がハッピーになることを選択するっていうのもいいのかな。友達や家族が喜ぶ顔を見たときは、自分のために何かしたときに比べて、幸せが倍増する気がしてて。人のために何かをして、それが自分の幸せや自信につながることってあるよね」 西村:「自分が必要とされていることが幸せにつながる、っていうのはある。それはすごく素晴らしいんだけど、人のために自分がハッピーじゃないことをやるのはちょっと違うんじゃないかなと思うの。自分がそれをやってハッピーかどうかってことが、まず大事。モデルの仕事は自分も楽しくて、みんなもインスピレーションを感じてくれるとか、メークの仕事はメーク自体も楽しいし、喜んでいる人の顔を見てうれしいし、とか」 水原:「一緒に幸せになっていくっていうのがベストだね」
2000年前の教えにダイバーシティを学ぶ
西村の著書『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』にも記述のある、阿弥陀経の「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という教えに、感銘を受けたと水原は言う。
水原:「どんな色でも、そのままで素晴らしいって教えが、すごい面白いと思って。いまの時代に必要とされている多様性のことを、2000年も前から応援している。素晴らしいと思ったし、うれしかったんです。ダイバーシティは難しいことじゃなく、そのままでいいってことや、多様な人たちがいると知って受け入れることだと、仏教が教えていたっていうのが、とても驚きでした」 西村:「仏教って、思っていたより寛容で、いろんな教えがあるんだなと、私も思いました。いま必要とされている仏教は、多様性が大切ですよ、自分らしくていいんですよ、ということを教えてくれるものなのかな。お坊さんも、日本では結婚できたりお酒飲めたり、生活についても寛容だし。だから私はメークしたりオシャレしたり、ハイヒールを履いたりして、こういうのもアリなんだよっていうことを発信していく責任があると思っています」 多様性について発信していくことの大切さを強く感じているふたり。現代では、SNSが発信の主なツールとなっているが、誰かに何かを伝えることで、思わぬ攻撃のターゲットになる可能性もある。 西村:「SNSで自分の存在が世の中に知られて、本当のお坊さんじゃないとか、こんなお坊さんが紹介されるならこの世は終わりだとか、書かれたことがあったんだけど……」 水原「私も、『ガリガリだから色気がない』とか体のことを書かれるのはすごく嫌。一生懸命太ろうと努力したこともあるんですけど、結構難しいんです。だからもう、これこそが自分なんだって思って、細いからこそ似合うファッションを楽しんじゃう。子ども服だって着れちゃうんだよ、って開き直ってますけど、やっぱり嫌なこと言われると反応しちゃう」