「日本人じゃない」と突きつけられた過去――水原希子、自分らしさとの葛藤の先に
水原:「すごい。宏堂さんがそのことを広めることで、思うままにオシャレすることを躊躇しているたくさんの方の背中を押すことになるんじゃないかな。自分に自信をもったり、新しい自分を発見したり、そういう手助けをしてくれるのがファッションなんだと思う」
マイノリティーだった過去も、こうやって乗り越えた
言動が同年代の多くの男の子と異なるため、「オカマ」とからかわれた西村。アメリカ人の父と韓国人の母をもつため、「日本人じゃない」と突きつけられた水原。ふたりとも、大多数とは違う部分があるマイノリティーとして、つらい思いをした過去がある。 西村:「オカマって言われたときも、友達がいなくてつらかったときも、セーラームーンとかディズニープリンセスの絶対にあきらめない姿を思い浮かべて頑張ってきたんです。希子さんは、どうやって自分を奮い立たせて乗り越えてきたんですか?」
水原:「お母さんの存在が大きかったかも。『お前のお父さん、目が青いよな』とか『英語しゃべって』とか言われるたびに、自分はみんなと違うってことを周りから突きつけられている感じがあって。言い返せなかったし、無理に日本人ぽく振る舞ってた。そうやって自信をなくしていると、お母さんが『希子ちゃんは世界で一番きれい。何も心配しなくて大丈夫』って言ってくれて、本当に救われたんです」 西村:「私も、例えば『女の子みたいな走り方するよね』って言われても、『えー』としか言えなかったの。いまだったら『優美な動きするでしょ』とかは言えたかも。でも、大学に入るまでは、そういうことを言えなかったし、はぐらかしてた。いまは、ちゃんと言えるし、話せるってことを、私たちが発信していかないといけないなって思う」 水原「そう、小学校まではつらかったけど、中学校からインターナショナルスクールに行ったことで、いろんな人がいることを知って、さらにモデルの仕事を始めたことで、自分の居場所が見つかったかもって思ったんです。自分がミックスだってことが特別ではなくなったんですよ、いい意味で。必ず自分の居場所はあるし、そこを見つけるまではつらいかもしれないけど、そのつらさも全部、自分の強さになるからって、ひとりでも多くの人に伝えたい。それができたら、有名人になってよかったなって思えるかもしれない」