《ブラジル》記者コラム 〝影の立役者〟松林要樹監督 政府謝罪に導いた重要な映画 ブラジル近代史の一隅を照らす
「興行成績は最低」日本での散々な評価
とはいえ、2021年8月にこの映画が日本で劇場公開された当初、評価は散々だったようだ。パンデミックと東京五輪という最悪のタイミングだったこともあり、上映館ではガラガラ――。松林監督自身も「今までの映画の中で一番興行成績が悪い」と認める。 バルガス独裁政権が大戦中にどのような過酷な弾圧政策を枢軸国移民に行ってきたか、日本の日本人はまったく知らない。その点、当地の日系人は家族の話や歴史的な予備知識が元々あり、そのような説明がなくても、すんなりと映画で描かれた事象に感情移入できたのだろう。 県人会が監督にブラジルでの上映許可をもらってポルトガル語字幕を付け、本部会館での上映会を皮切りに8カ所、そして今年はブラジル日本文化福祉協会大講堂を順繰りに巡回して上映会を行い、いずれも数百人から1千人の会員が詰めかけるなど異例の注目を集めた。「自分たちの隠された歴史を描いた映画」として口コミで噂が広まっている。
謝罪請求運動を支えた三つの媒体
この謝罪請求運動を推し進める上で、決定的な役割を果たした媒体が三つあると思う。 約20人ものサントス強制立退き被害者を探し出して証言を掲載したブラジル沖縄県人移民研究塾の機関紙『郡星』(宮城あきら編集長)、奥原マリオ純監督(49歳、3世)が終戦直後に監獄島アンシェタに収監された勝ち組の話をまとめたドキュメンタリー映画『闇の一日』(2012年、https://www.youtube.com/watch?v=kbaehRBjQ98)、松林監督の『オキナワ サントス』だ。 今回の運動は奥原マリオ純さんが一匹狼のように始めたが、ブラジル沖縄県人会が加わってから圧倒的なパワーで後押しをした。だが、県人会会員がこの運動を熱烈に支援する動機を生んだのは『郡星』に掲載された証言と、証言者の生の声を映像でみごとに表現した松林監督の映画だった。 これらが揃ってこそ、初めてなしと遂げられた偉業だ。どの一つが欠けても不可能だった。これは内部にいた人の誰もが認めることだ。