【深層ルポ】記者が原子炉の下で感じたこと 廃炉・“処理水”放出の現場は今…福島第一原発
処理水はタンクから海水と混ぜ合わせる「立坑」という水槽までパイプを伝って運ばれるが、このパイプは思っていたよりもずっと細かった。ドバドバと流すのではないかという自分自身が抱いていた勝手なイメージとは異なり、実施は量を限定して、少しずつ海水と撹拌して放出している状態だ。 視察したのは1回目と2回目の海洋放出の合間で、周辺の施設では作業員らが点検などを行っている。水は海底トンネルの中を通って沖合1キロの地点で放出されるが、今は特に沖合に構造物はなく、はっきりと放出場所はわからなかった。
中国と韓国も、自国の原発から大量のトリチウムを含む水を排出している。それなのになぜ、福島の処理水放出に強く反発するのかを中韓の人々に尋ねると、ほぼ共通して返ってくるのは、以下のような反応だ。 “事故が起きた原発から出てる水だから、通常運転してる原発の水とは異なる” 彼らの多くはALPSが完全に放射性物質を除去できないことも知っているし、“処理途上水”が多くあることも知っている。また、心理的な側面も大きく、政治的な扇動も影響している。それらを理解できないわけでは無いが、日本側としては十分な検査と科学的根拠で反論し、丁寧に説明を続けていくしかないだろう。 ALPSの施設の前で、実際の“処理水”が入ったボトルを手に持たせてもらった。透明なごく普通の水である。線量計を当てても、針は振れず、何の反応もない。 一方で、この状態にするためにALPSでは入念な処理が行われているわけだが、そのフィルターや沈殿物は当然、放射性物質が濃縮された危険な放射性廃棄物になる。 これらも日々、大量に発生しているため、その処理や保管場所の確保は新たな課題になっていくだろう。 地下水の流入を減らせているとはいえ、完全に遮断できていない以上、発生し続けている汚染水の処理をこの先も延々と継続していかなければならない状況なのだ。
■“手仕舞い”に費やされる途方もない労力・予算
視察を終えると、使い終わった防護服や靴下、手袋などはそのまま処分する。特に5号機内の視察後には、三重に着用した靴下や手袋をエリアごとに外して捨てていく必要があった。 積算の線量は30マイクロシーベルト。これは1回のX線検査の半分程度だ。ただ、場所によってはより高い線量の中、作業が必要なこともある。時に危険を伴う作業を、何千人もの作業員が事故後、12年間以上にわたって続けてきて、今後も何十年間、続けていくわけである。 帰路、我々を乗せた車は、人々の生活の気配が消えてしまった浪江町の林道を進んでいく。 事故後12年間、地元への説明対応などで奔走し、時には罵倒されることもあったという木野参事官。大学から原子力を専攻し、経産省に入ったとの経歴も聞いていたため、一番気になっていたことを率直に尋ねてみた。 ――福島で廃炉に関わり続けてきて、批判の矢面に立たされることもあったと思います。木野さんの中で原発政策についての考えに変化はありましたか? 経済産業省資源エネルギー庁 木野正登参事官 「事故が起こると本当に影響は大きくて、我々は自然を甘く見ていたんでしょうね…。ただ、私は原子力は必要だと思っています。いかに安全に運用できるかが大事なこと。私はもう最後まで福島にとどまって、関わり続けますよ。生きている間に終わらないかもしれないけれどね…」 初めて目の当たりにした廃炉作業は、想像以上にきっちりと管理された状況で、ある意味、システマチックに進められている印象だった。 しかし、建設や稼働期間を遙かに上回る途方もない時間、労力、予算が廃炉に費やされていくことになる。今行われている作業の全てが、“手仕舞い”に費やされていると考えると、虚無感を覚える。生活の拠点を奪われた人々の気持ちを考えると、なおさらである。 それでも、この先何十年、たとえ百年以上かかったとしても、私たちは安全に廃炉を進めなければならない。この現実を直視し、正しく理解し、関心を持ち続けていくことが重要だと感じる。
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