「本当に苦しかった」、「悔しくて寝られなかった」 試合直前練習で7人しか集まらない危機的状況を乗り越えて全国ベスト4 長崎県立大の主将を支える恩師からの教え<準硬式・全国大会(清瀬杯)>
<清瀬杯第56回全日本大学選抜準硬式野球大会:長崎県立大5-2青森大>◇2日◇準々決勝◇札幌円山球場 【一覧】進学もしくは社会人志望の選手 1日より北海道では始まった清瀬杯第56回全日本大学選抜準硬式野球大会。札幌円山球場での第1試合、長崎県立大と青森大の準々決勝は、5対2で長崎県立大に軍配が上がった。 初回に長崎県立大が、6番・角 拓磨内野手(1年=長崎商出身)、7番・荒木 颯太内野手(2年=長崎北出身)の連続適時打などで4点を奪い、主導権を握る。4回にも1点を追加して青森大を突き放すと、先発・渡邊優斗投手(4年=大分雄城台出身)が9回2失点の完投で応えて、ベスト4進出を決めた。 「勝った」と思いながら落下点に入り、最後はグラブを突き出すように捕球してガッツポーズ。ベスト4進出を決める最後のアウトを自らの手でつかみ、長崎県立大のレフト・藤村 健吾外野手(4年=大崎出身)は笑みを見せながら、整列に向かった。
ただ、「9回が終わったときに『最後まで手を抜くな、ビビッて引いたプレーをするな。いつも通りやろう』って言ったのに、突きだしてしまった」と、嬉しさのあまり、いつも通りのプレーができなかったことを少し悔やんでいたが、その理由は、母校での高校野球3年間の教えがあるからだ。 藤村の母校・大崎は、今では長崎の高校野球を代表する強豪校。甲子園にも2021年に出場を果たしたが、藤村が在学していた時は、現在ほどの力はなく、恩師・清水央彦監督も就任したばかり。大崎の歴史は、藤村の世代を土台に始まったのだ。 藤村が入学した時は、先輩たちがわずか6人だけ。中学時代に強豪で鍛えてきた藤村は、自信をもって高校野球の世界に飛び込んでいったが、「それなりにやれると思ったのに、全然ダメでした」というように、思った結果は出なかった。 1、2年生の夏はともに初戦でコールド負け。「いくら強い私学とはいえ、もう少し戦えると思っていたので、甘かったと思います」と振り返り、入学時に思い描いていたような高校野球人生を歩むことはできなかった。 しかし最後の1年、「主将の坂口(航大)と高垣(昂平)が監督に『もっと厳しくしてください』って直談判した」という同期の働きかけで、チームは大きく変わり、藤村にとっての野球観の土台が、築かれていった。 「キャッチボールの後には、ゴロ取りや握り替えの基礎をやってから、短い距離で素早くボール回し。フットワークの確認と、ノックまでに細かく基礎練習をやりました。バントもバットを縦に持って、膝を使って当てるようなことまで、とにかく基礎をたくさんやりました。 今は時間がないので同じことは出来ないですが、捕ったり、投げたりすることの基礎はやっています。それが試合で勝つために必要なことだと身をもって学びましたので、この立場になって改めて感じていますし、試合でも『いつも通りやろう』という清水監督の言葉の大切さを再確認しています」