「君を治せる」の言葉で引きずり出された記憶を元に、性虐待被害の再演が行われた。「記憶の書き換え」を名目に実験台にされた日々
◆“記憶”の書き換えは不可能と気づいた 「テスト期間だから」という理由で、Sと会わない日が数日続いたある日、私は本屋に出かけた。食事さえ億劫なのに、本屋には行けるのか。そう思う人もいるだろう。だが、私はそういう人間だ。 むしろ、生きるか死ぬかの瀬戸際にある時こそ、私の足は本屋に向かう。そういう時ほど、不思議なくらい本に“呼ばれる”ことを、本能が知っていた。 訪れた本屋を何周かぐるぐると巡り、私はある一冊を手に取った。『完璧な病室』という簡素なタイトルが、私を明確に手招きした。小川洋子氏による初期作品の短編集。私が著者の作品をはじめて手に取った瞬間だった。 本書には、全4話の作品が収録されている。中でも特に惹かれたのは、『冷めない紅茶』と題された章だった。 “記憶は、自分の物でありながら、自分の意志で整頓し直したり燃やしたりゴミに出したりできない物なのだ。”
◆ようやく気づいた 物語の序章に綴られたこの一文を読み、頭を殴られたような衝撃を受けた。自分のものでありながら、決して自由にはならない代物。たしかに、記憶とはそういう類のものだ。だから苦しくて、辛くて、こんなにも長い間のたうち回っているんじゃないか。でも、Sはそれを「治せる」という。「記憶の上書きは可能だ」という。 私が知っている“記憶”は、物語の中に記されたものと近しい形をしていた。じゃあなぜ、私はSを信じているのだろう。いや、「信じなければ」と思い込んでいるのだろう。 物語のストーリーと、私の体験は重ならない。だが、本書に散りばめられた言葉の数々が、私の心を揺さぶった。 “何かが歪んでいるような気がした。時間や空気や距離や、そんな目に見えない何かが、どこかでねじれていた。しかしわたしにはどうしようもできなかった。わたし自身、そのねじれの渦にはまりこんでいた。” 「ねじれの渦にはまりこんでいた」ことに、私はようやく気づいた。気づいた瞬間、全身が震えた。その瞬間、私の中に芽生えたのは、怒りでも悲しみでもなく、Sに対する明確な殺意だった。 ※引用箇所は全て、小川洋子氏著作『完璧な病室』収録作品『冷めない紅茶』本文より引用しております。 ※医療に関する専門的知識や資格を持ち合わせていない人物から、独自の精神療法を受ける行為は、大きな危険を伴います。素人が複雑性PTSDの治療を行うことは、現実的に不可能です。患者の心身に負担をかけるばかりか、最悪命を落とす結果にもつながります。 当時の私はその判断力がなかったため、抗う(逃げる)選択ができずに足を踏み入れてしまいましたが、決して真似しないでください。 ◆家庭内での虐待などに関して、警視庁でも相談を受け付けています。 児童相談所虐待対応ダイヤル 189(通話料無料) HPはこちら
碧月はる