「君を治せる」の言葉で引きずり出された記憶を元に、性虐待被害の再演が行われた。「記憶の書き換え」を名目に実験台にされた日々
◆目を開けて、俺の顔を覚えて 「君が加害者にされた行為を、再演する」 要するに、加害者(実父)から受けた行為をSが行うことにより、Sとの行為をより強く私の記憶にとどめる。結果、加害者から受けた記憶が恋愛対象者との思い出として改ざんされ、後遺症は改善する。そういう理屈だった。 当然のことながら、こんな治療法は愚の骨頂である。切り開いた生傷に塩を塗り込むようなもので、治療の効果なんて期待できるわけもない。それなのに、私は従った。彼が少しでも嬉しそうな顔をしたり、反対に脅すような真似をすれば、もっと早くに彼の異常性に気づけただろう。 だが、Sはあくまでも冷静で、シナリオをなぞるように事を進めていった。その態度が、当時の私には専門家のそれに見えた。 私の体をまさぐる指が、Sのものなのか、父のものなのか、途中からわからなくなった。叫び出しそうになると、Sはそっと私の口に手を当てて押しとどめた。「目を開けて」と彼は言った。 「目を開けて、俺の顔を覚えて」 どこまでも自分を信じている人間の目は、きれいな反面、なんて恐ろしいのだろう。そう思ったけれど、口に出す勇気はなかった。
◆性虐待の再演により壊れた心 私が告白した被害内容を書き留めた大学ノートを見返しながら、彼は何度も「違うところがあったら言ってね」と言った。「辛かったら言ってね」とは、決して言わなかった。 彼はわざわざ玄関ドアの向こうに待機し、「扉を開けて自室に入ってくる父」の行動を再現する徹底ぶりだった。夜間、ギイ、と扉の音が鳴るたび、今でも私は跳ね起きる。夜に開く扉から、優しいものは入ってこない。 ぎしぎしと鳴るベッドのスプリング音が不快だった。「これで合ってる?」と確かめるSの声が不快だった。彼が達する速さが父のそれとズレるたび、「もう一度やり直させて」と言われるのが不快だった。 何もかもが不快で、私は彼を愛していなくて、こんなことをしても治るわけがないとどこかで思いはじめていたのに、私は呆けた表情のまま頷いてばかりいた。首は横に振ってもいいのだと、子どもの頃に誰かに教えてほしかった。