「君を治せる」の言葉で引きずり出された記憶を元に、性虐待被害の再演が行われた。「記憶の書き換え」を名目に実験台にされた日々
◆焦燥とSへの不信 再演を繰り返すたび、私の病状は悪化した。当時の私は、介護の仕事をしていた。仕事そのものは好きだったが、酷い不眠のせいでどうしても定時に起き上がれず、欠勤が続いた。このままじゃ、また職を失う。焦燥とSへの不信は、日増しに膨れ上がった。ある日、思い切って彼に現状を伝えた。 「症状が悪化しているように感じる」 それを聞いた彼は、無理やり過去を引きずり出した時と同じ台詞を口にした。 「良い傾向だ。それは、好転反応というんだよ」 「好転反応」とは、何らかの治療を受けた後、一時的に痛みや発熱などの症状が出ることを指す。整体などでよく使われる言葉だが、ここでSが言うそれには、医学的根拠などあるわけがなかった。
◆洗脳状態に追い込まれたモルモット 「ここで諦めたら、これまでの苦労が水の泡だよ」 Sは辛抱強い口調で、繰り返し私にそう言い聞かせた。過去を望まぬ形で吐き出すと同時に、蜘蛛の糸に絡め取られ、身動きが取れなくなった私は、操り人形の如く彼の指示に従い、ゆっくりと壊れていった。 思い出したくないことを、まざまざと見せつけられる。忘れたいことを、心と身体に刻まれる。その苦痛のすべてを言葉にするのは、ひどく難しい。しいて言うなら、自分という人間の輪郭が失われていくような感覚だった。 食べ物を受け付けなくなり、頻繁に記憶が抜け落ちるようになり、時間の境目が淡くぼやけた。電話の着信音が鳴り続けていることを理解はしていても、「電話に出る」作業ができなくなった。 当時を振り返ると、おそらく私は「洗脳状態」にあったのだと思う。人を支配する方法は、わかりやすい暴力や暴言だけだと思っていた。しかし、こんなにも静かに、ゆるやかに、人の心を壊す方法があるなんて知らなかった。
◆Sの異常な執着 Sが何の目論見も持たない人間であったことが、事態をより一層悪化させた。何らかの商品を売りつけようとしたり、勧誘行為があったなら、私はそこで彼に対して疑いを持つことができただろう。だが、彼はそのような行動や言動を一切見せず、「私の記憶の書き換え」のみに異常な執着を示した。理由は、今でもわからない。 出会い系で知り合い、会って間もない女の過去のトラウマになぜそこまで関心を示すのか。彼が私に抱く興味は、単に「心理学を学んでいるから」という理由だけで括れるような代物ではなかった。 同年代の異性とラブホテルに入り、そこで行う行為のすべてが“再演”のみで完結する。口直し的に愛のあるセックスを求めてくるでもなく、恋人同士のスキンシップがあるわけでもない。 ホテルの部屋を出る時、彼はいつも「お疲れさま」と言った。彼にとって、私への“治療行為”は仕事であるようだった。そして、私は一種のモルモットだったのだろう。彼は私の痛みにも心にも関心がなく、私を実験台として、自身の仮説を立証したいだけに過ぎなかった。それはまるで、幼子がよくやる「お医者さんごっこ」のようであった。