【ラグリパWest】50年から先へ。生駒ジュニアラグビークラブ
ラグビーを子どもたちのよりよき育成のために使い、半世紀を迎える。 生駒ジュニアラグビークラブである。短縮形は「生駒JRC」。英語のJunior Rugby Clubの3つの頭文字をとる。 今では幼稚園児から中学生までにラグビーを教える、いわゆるこの「スクール」が誕生したのは1975年(昭和50)。奈良県の西部、生駒市である。県内には8つのスクールがあるが、最長の歴史を誇る。 その50周年をひと足早く祝う記念大会が、この7月15日にあった。3連休「海の日」の最終日である。 会場は県境の生駒山を越えた大阪の花園ラグビー場。メインの第一グラウンドである。大会の実施要項には書かれてある。 <あこがれの花園> 本物に子どもたちを触れさせる。感性を磨く。ここでは日本代表のテストマッチ(国際試合)や高校の全国大会などが開催される。 夏枯れのない緑の天然芝では、午前9時から午後2時30分ごろまで6時間超、幼稚園児から中学生までの歓声が響き渡った。 この大会の別のテーマがある。 <子どもが主役> 試合のスコアは取るが、勝ち負けは問わない。指導員からの指示も禁じる。子どもたちが委縮しないように全40試合は展開された。 生駒JRCの4年生、中路大喜と太田尋翔(ひろと)は声をそろえる。 「楽しかったです」 中路は小1からこの競技を続けている。 「ボール回しや、タックルが好きです」 太田は幼稚園から楕円球に触れる。 「声を掛け合いトライをとるのがいいです」 参加チームは生駒JRCを含め8。スクールはとりみ、桜井、四条畷、豊中。県内の小学生のタグチームとして都跡(みあと)、中学生の奈良北、さらには生駒JRCのOBを中心に編成されたドリームチームである。 ドリームチームには眞野泰地(たいち)の姿もあった。2か月前に終わったリーグワンでBL東京の14季ぶりの優勝に貢献した。27歳のCTBである。 「昨日、奈良の実家に帰ってきました。明日、東京に戻ります。このために帰ってきました。僕にとっての原点ですから」 笑みを示す細い目と口がさらににゅっと横に広がる。トップ選手になっても義理堅さは変わらない。眞野は最初から最後までグラウンドにいた。生駒JRCにいたのは小学校の6年間。中高は東海大仰星だった。高3時はFL主将として95回全国大会(2015年度)でチームを優勝に導く。決勝戦は桐蔭学園に37-31。眞野は東海大からBL東京に入った。