増える群発地震&子どもの自殺――正論を超えて観るべきこと 空羽ファティマ
明日が当たり前に来ると思っていた
「あの日はいつもと変わらない普通の日だった」と、東日本大震災の3/11で74人の子どもたちが犠牲になった大川小学校の佐藤敏郎さんが言っていた。あの朝、お母さんとケンカしたまま出かけた子どもたちがたくさんいたが、学校から帰ってきたら、お母さんのあったかいご飯を食べながら、なんとなく仲直りすればいいと出かけていったのだろう。 でも…次に会った時にはお母さんは、泥だらけで冷たくなっていた。 どんなに「ごめんなさい」とあやまっても答えてはくれない。口の中には黒い泥がたくさん詰まっていて、 「ハイハイ。もういいから、早くご飯を食べなさいね」 といつものようには、もう言ってくれなかった。 ゆすっても、叫んでもお母さんは二度と動かず、話しても笑ってもくれなかった。冷たく硬くなったお母さんの腕は、もう、我が子を抱きしめることはできなかった。お母さんに抱きしめられたのはいつが最後だっただろう。照れて「やめろよ」と言ってしまった自分を責めた。 そんな後悔を背負った子どもたちがたくさんいる。母親が亡くなったこと以上に、最後に冷たい言葉をかけてしまったことが、彼らを苦しめ続ける。その後悔はどんな後悔より痛い。 本当に気の毒だけれど、人生は良くも悪くもいつ何が起こるかわからない。だから、私は学校に講演に行くと反抗期の彼らに言う。 「今朝、お母さんにムカついて家を出てきた人がいるでしよう? 密かに心の中だけでいいから手を挙げてみてよ。 (ニヤニヤと笑う子どもたち) 反抗期ってさ、脳とホルモンの暴走だからイライラしちゃうよね。言い過ぎているなあ、ってわかっていても止まらないよね。うんうん。わかるよ。 でもね、3/11のあの日、覚えてる? 東日本大震災。あの時もみんなと同じように、朝お母さんにイラついてお弁当をわざと持っていかなかったり、バン!と乱暴に玄関を閉めたり、「いってらっしゃい」の声も無視して反抗したまま家を出てきてしまった子がいて、その後お母さんもろとも家が津波の濁流に流されたの。後悔して泣いても謝っても、もう手遅れになってしまったと悔やんでいるみんなと、同じ年くらいの子どもたちがたくさんいるって知ってる? 命があることって奇跡なの。こうしてみんなや家族、友達が「生きてること」は当たり前ではないの。 親には注意されてばかりでムカつくし、いちいちうるさいだろうけど、“お母さんやお父さんが元気でいる”って幸せなことと知ってほしい。 どんな命もいつか終わる。 でも、それがいつかは誰にもわからない。失って初めてわかることは多い。でも、失う前にその価値を気づくことはできる。 あの3/11の日。 2時46分の後もこの日常が続くと誰もが思っていたけれど。海水をかぶった時計の針はそれ以上進まないまま今も止まっている。 亡くなった人、わんこやにゃんこ。流れていった家族と暮らした家、大切にしていた思い出にあふれた写真やスマホや、ぬいぐるみ。 昨日まで普通にそこにあったものが、あっという間に波にさらわれてしまった。だから、今ある幸せに感謝して。 ムカついてもいいけど、出かける前はよしたほうがいい。その後悔はもしかしたら、永遠に続いてしまうから。 いつもいい子でいなさいなんて言わないよ。反抗してもケンカしてもいい。 でも、〈日々の尊さ〉を知ってる人と、知らない人では怒っても言葉の選び方が違ってくる。そして、その生き方も違ってくる。 当たり前の日々なんて1日もないの。全てが二度とないかけがえのない日なの。それを知っていてほしい。 あの日はそれを大きな犠牲を払って私たちに伝えられた日です。その悲しみを今も抱えてる人たちがいることを忘れないで。 『あなたをママと呼びたくて、天から舞い降りた命』の本は、悲しみの中にも温かな想いがたくさん詰まった“生きる力”が湧いてくる本です。東日本大震災で亡くなった佐藤愛梨ちゃんのママから依頼されて描いた、「命の大切さと日々の尊さ」を伝える全額寄付の震災支援絵本は、NHKニュースウォッチで紹介されて全国から寄付が集まり制作しました。 本には朗読CDがついていて、物語に寄り添ったオリジナルの曲の演奏と、ダンスと作者の私の朗読によるこの本の朗読コンサートは学校やカフェなどで大好評で、朗読を聞いた子どもたちからは、 「この本を読んでもらい、死にたいと思ってたけど、生きる気持ちに変わった」 「お母さんに産んでくれてありがとうと、言いたくなった」 「イジメをしていたけど、今日でやめます」 「お家が流されずにあることやご飯を食べられることが当たり前ではないと知った」 などの感想文が届いている。 道徳の授業で「命を大切に」と教えるより、ストレートに心に届くようだ。 誰のことも信じられず、死にたいと思っていた女の子が私に書いてくれた感想文には「『絶対泣くもんか!』って思って講演を聞き始めたけれど、初めて私の気持ちを理解してくれるファティマさんに出会えて、心から泣きました」とあった。それは、私自身が理解してくれる大人がいない子どもだったから、「その頃の自分が会いたかった大人になりたい」と思いながら心を込めて話をしているからだと思う。 反抗期の彼らも、本気で向かい合えば心を開いて受け止めてもらえることを知ることで、寂しくて、哀しくて、たくさん泣いて悩んだ私の過去も癒されている気がする。 13年目の3/11の夜が明けていく。私の人生の大きな転機になったあの日。 「この本を書くために生まれてきた」と、思える一冊を描かせてくれて心から感謝です。想いのこもった子どもたちからの感想文を読んでいると、「これからもコツコツと朗読コンサート続けていきたい」と力をもらう。