増える群発地震&子どもの自殺――正論を超えて観るべきこと 空羽ファティマ
自身が会いたかった大人に
だからお願いしたい。皆さん一人一人が自身が反抗期に会いたかった大人として、彼らに接してほしい。電車やバスの中でも、声をかけたり微笑んだり、「みてるよ」「あなたは一人じゃないよ」っていうメッセージを送ってあげて欲しい。 表面的にはチャラチャラしてるように見えても、彼らは友達さえ信じられず、人間不信で孤独で不安でヒリヒリしているのだから。 中学や高校へ講演に行くと「命の大切さと日々の尊さ」というタイトルを見た反抗期の彼らは「なんだ、そのくせえタイトル! もう今日はオレ寝るから!」と意思表示するために初めから腕組みして目をつぶっている。私は「寝てないで、ちゃんと聞いて!」などと注意はせず、勝手に話し始める。 「くだらないと思われる覚悟で頼むけどさ、グーチョキパーしてみて」と、語りかける。当然、彼ら半数ぐらいは無視してる。 「うぜえ。ふざけんなよ、と、思ったでしょ? でもね、ちょっとだけ想像してみてくれない? もしもよ、今日の帰宅時、交通事故にあって指や腕を無くしたら……。『さっき空羽ファティマの前でグーチョキパーできる指があったことは奇跡のように幸せだった。あの時に戻してくれ!』と思うよね? 失ってみないと、わからないことってたくさんあるんだよ」 「その年頃って、いろいろムカつくことばかりで、いらつくのも、わかる。大人はえらそーだしね。私もそう思ってたよ」とか、そういう話をしていくと、信じられないだろうが、彼らは泣くのだ。反抗期の男の子が泣くのだ。 クールな子どもなんていないのだと、こっちも泣きながら私も話す。チーンと私が鼻かんで、「ティッシュあるから取りにおいで」というと、壇上に素直に取るに来る姿はとてもかわいい。大人が彼らに届く言葉を使って、歩み寄らないとだめだ。「近頃の子どもは」とか、「こうすべき」という上から目線で威張ってるうちはだめなのだ。
小中学生自殺過去最多のSOSにどう応えるか
毎日新聞の【田原総一朗 日本の教育 問題は何だ!?】で、田原さんは「一生かけてやるほど好きなことを子どもたちが見つけるようにするのが教育だ」と言う。 悩みを抱える子どもの無料相談を24時間受ける「あなたのいばしょ」の大空幸星さんは家庭崩壊や不登校を経験してきた。彼は「本来はそうだが、今の子どもたちは好きなことが見つけられない教育の仕組みの中にいて、その言葉は不登校の子どもには響かない。30万人の子どもが家から一歩出るのもしんどい状況にいる。心が満たされて初めて、田原さんのように社会に物を申すとか、情熱を持って生きることができる。“夢や情熱を持つべき”と思ってる人には不登校や自殺する子どもの気持ちは理解できない」「“自分たちは子どものことをよくわかってる”と錯覚してるから、いじめや自殺対策も支援も的外れになる」と答えた。 昭和的な美学を手放さない田原さんの熱すぎる教育論に、堂々と反論する勇気に拍手したい。私も「夢を持つことは生きる力になる」と思って生きてきたバブル時代に東京で過ごした人間だから、田原さんの言ってることもわかる。ただ、それが、今の子どもたちの心に響かないのならば言葉掛けや支援の仕方を変えるしかない。「これが正しいからこうしなさい」と説くより、まずは彼らの立場に立ち、相手が理解する言葉で話さないと、理想を語っても空回りで的外れになる。教育委員会のイジメ対策のように。 同じことが視覚障害者用多目的トイレにも言える。目が見えない方が使うのだから、トイレットペーパーを流すボタンも同じところに付けないとだめなのに統一されてない。そういうところが「当事者」の立場に立っていないと痛感する。 また、盲導犬の絵本を書く繋がりでサルコイドーシスという10万人に一人の難病の方と知り合ったのだが、臓器、骨、筋肉、神経と全身が侵されるという。視力だけは失いたくないと願っていたのに年内に失明してしまうかもしれないという彼女は、同じ病気の「当事者」が少なすぎて苦しみを分かち合える人がいない孤独な情況の中にいる。 家族同然の猫たちも亡くし生きる気力を失ったが、なんとか心の支えにしようとしているのが群馬県に「友の会」を作ることだそうで、もしこの病気の方がいたらご連絡ください。