【ラグリパWest】視線が集まる人㊤。金谷広樹 [大阪産業大学附属高校/ラグビー部コーチ]
視線が円陣の中心に集まる。その後ろを歩く。振り向く部員はひとりもいない。 注目を浴びるのは金谷広樹(かなや・ひろき)。大阪産業大学附属高校、略称は「大産大附」のラグビー部コーチであり、保健・体育の教員でもある。38歳の金谷は高校生の気持ちをつかんでいる。 指示を与える時はその細い眼は光を放つ。ひと合戦しそうな雰囲気だ。笑う時は顔全体が崩れる。目じりも口元も急降下する。このメリハリが特徴でもある。 金谷の出身高校は「仰星」と呼ばれる東海大仰星。恩師、土井崇司の激賞がある。 <BKコーチとしてはダントツ1位の人物です。生活指導もできます> 金谷は現役時代、SOだった。土井の短文からは視線が集まる理由がわかる。 土井は今、東海大相模の中高の校長である。仰星にラグビー部を作ったのは学校創立の翌1984年(昭和59)。会場の花園ラグビー場から「花園」と短縮される全国大会は優勝6回とするが、そのクラブの基礎を作った。 金谷は土井の書く生活指導に関して笑う。 「小学校からやんちゃでした」 将来を危ぶんだ4つ上、中学は茨田北(まったきた)に通っていた姉が担任に相談する。 「ラグビーをさせよう」 その担任は答えた。 金谷は中学入学同時に競技を始めた。 「パワーをぶつけるところができました」 血の気は格闘技的な要素が入ったラグビーによって少なくなってゆく。金谷は荒れる子の気持ちがわかる。それは生活指導に直結する。今はラグビーと並び、週20時間の授業を受け持っている。 金谷の姉の相談を受けた担任が鳥山修司だった。今は大産大附のラグビー部の監督である。金谷は恩師とともにある。63歳の鳥山は大体大出身。大阪市の中学教員として、仰星監督の湯浅大智や神戸製鋼(現・神戸S)のバックローだった前川鐘平らを育てている。 鳥山は2009年4月、大産大附に来た。中学から高校教員に変わった。同時に相棒として連れてきたのが金谷である。 「大阪市の中学講師が決まっていました」 東海大を3月に卒業する直前、方向が変わる。鳥山にとっても土井と同様、教え子の中では指導を託せる出色の人だった。 この師弟が大産大附に来て16年目。花園出場こそないが、大阪府予選決勝には11回出ている。春の選抜は17回大会(2016年度)に実行委員会推薦枠で出場した。1勝2敗で予選プール敗退。新潟工に47-17、西陵に24-26、東京に19-38だった。 先月あった花園の府予選では決勝で仰星に13-34で敗れた。前半は先制PGを決めるなど8-10と競った。金谷は振り返る。 「後半、仰星のSOがランコースをまっすぐから斜めに変えてきました」 飛び出すディフェンスは面食らう。穴が開いた。前半、ノックオンなどで2本のトライ・チャンスを流したことも災いした。 大産大附は高校ラグビーにおいて府内で二番手になる。トップは「ご三家」と呼ばれる仰星、常翔学園、大阪桐蔭。その次の位置を関大北陽などと占めるが、競技に長けた選手を集めるのは難しい。 府内の経験者が3年間の全国大会出場を求めるなら石見智翠館、尾道、日本航空石川、松山聖陵、倉敷など県外に目を向ける。隣県の奈良には天理や御所実もある。 ご三家に比べ、大産大附の活動期間は短いこともある。ラグビー部ができたのは2000年。金谷が赴任する9年前である。 ただ、40年以上前に部は存在していた。 「何らかの理由で廃部になり、同好会を立ち上げた年に創部が設定されています」 金谷は説明する。40年以上前、監督だったのは仲谷弘麿。仲谷はその後、大阪桐蔭の初代監督になる。大産大附と大阪桐蔭は同じ学校法人「大阪産業大学」に属している。 新生ラグビー部の主なOBとして年子の松永兄弟の名が通る。兄はBL東京のSO拓朗、弟は神戸SのFB貫汰。兄は今秋、日本代表に初選出され、横浜であったニュージーランド代表戦の途中出場などキャップ4を得た。 「応援に行きました」 金谷にとってもうれしいことだった。 現在、3年生が抜けた新チームの部員数は63。内訳は2年生が29人、1年生が女子マネ1人を含め34人だ。来年4月の新入生は30人ほどを予定している。 能力の高い経験者獲得には苦労するが、それでも2学年で60人以上の部員数は、学校の人気をまた示している。金谷は話す。 「志願者の数は近大附に次いで府内で2番目の多さと聞いています」 普通と国際の2科の下にスポーツなど5コースがある。生徒数は1850ほどだ。 城東区にある学校は大阪の街を南北に貫く内環状線沿いにある。大阪メトロの今福鶴見駅から徒歩7分だ。 「そのアクセスの良さもあると思います」 偏差値は40の中盤から50の中盤。幅がある分、収容力はある。大産大には学内推薦で入学できることも人気のひとつだ。 ラグビー部にはスポーツ推薦枠が与えられているが、一般入試で入学した者や初心者もいる。府予選決勝で先発したHO河本晃諄(こうじゅん)、LO坂本一馬は初心者だった。 「来るか。やっぱり来るんやね」 そんな表現で金谷はおどけるが、その指導力の高さがうかがえる。 この私立校の創立は1928年(昭和3)。前身は鉄道関係の教育を施す大阪鉄道学校だった。1948年の学制改革を経て、今は全日制の男女共学校である。部活動はアメフト、サッカー、野球、男子バレーも全国レベルだ。アメフトは高校日本一を決めるクリスマスボウルで8回の優勝がある。 (視線が集まる人㊦に続く) (文:鎮 勝也)