生者と死者との関係は、宗教以前の領域に由来する
呻き、歌、祈り
大切な人を喪い、人は声にならない呻きの日々を送る。呻きとは、嘆きの果てに生まれる言葉たり得ないおもいの発露です。私たちは他者の嘆く姿を見ることがありますが、呻く姿に接することはほとんどありません。なぜなら、多くの場合、人は独りでいるときに呻くからです。 今日、宗教は、こうした境遇に向き合う言葉を失いつつあります。それは現代に起ったことではなく、宗教の社会化とともに失われていったのでしょう。ドストエフスキーは敬虔な信仰者でしたが、時代の教会とは相容れない霊性が自分のなかに生きているのをはっきりと感じていました。『カラマーゾフの兄弟』の主人公で修道士だったアレクセイが、師である長老ゾシマの死後、修道院を出て市井で生きるようになっていくのもそうした彼の霊性が強く反映しているように思われます。 ドストエフスキーも小説でしばしば呻きを描きます。読者は、登場人物の衰弱した姿にその軌跡を感じるのです。呻きは誰の耳にも届かず、呻いた本人もそれを記録することはできません。しかし、そうした現実を前にしながら人は、やはりその不可視、不可触な呻きに姿を与えたいと願うのです。こうした営みをめぐって批評家の小林秀雄が次のように書いています。 悲しみに対し、これをととのえようと、肉体が涙を求めるように、悲しみに対して、精神はその意識を、その言葉を求める。(「言葉」『考えるヒント』) ここでの言葉は、散文のそれではありません。詩になるほかないものです。この文章で小林がふれているのは本居宣長ですが、彼が宣長に向き合う前に十年をこえる歳月を傾けて対話していたのはドストエフスキーでした。同じ文章で小林は次のようにも書いています。 悲しみ泣く声は、言葉とは言えず、歌とは言えまい。寧ろ一種の動作であるが、悲しみが切実になれば、この動作には、おのずから抑揚がつき、拍子がつくであろう。これが歌の調べの発生である、と宣長は考えている。 ここで「歌」と呼ばれているものは、それを発した者にとっては祈りに等しいものです。しかし、それは「宗教」とは異なる領域で営まれる祈りなのです。ドストエフスキーは、シベリアに流刑された直後、ある女性に向けての手紙で次のように書いています。 たとえ誰かがキリストは真理の埒外にいるという事を僕に証明したとしても、又、事実、真理はキリストの裡にはないとしても、僕は真理とともにあるより、寧ろキリストと一緒にいたいのです。 この一節は、小林秀雄の作品「カラマアゾフの兄弟」(『ドストエフスキイの生活』新潮文庫所収)に引用されています。ここでいう真理は多義的です。それは宗教的真理であり、人間が認識でき得る真理であり、絶対的なそれですらあるでしょう。それでも彼は真理ではなくキリストとともにあることを願うというのです。