憧れのクラブ・FCバルセロナで感じた手応えと課題。原田快が歩む「世界最高峰」への旅路【独占インタビュー|フットサル】
「将来はバルセロナの選手になりたい」 幼少期から掲げていた夢を実現し、誰もが憧れる世界有数のビッグクラブのユニフォームを手にした原田快。 Fリーグで圧倒的な違いを見せた鋭いドリブルはスペインでも高く評価され、原田は加入1年目の2022-2023シーズンから、スペイン2部リーグを戦うバルセロナBの主力として18試合に出場した。 そして2年目の昨シーズンには、12月9日に行われたコルドバ戦で、ついにトップチームの選手としてリーグ戦デビュー。日本のフットサル界にとって「歴史的瞬間だ!」と大きな話題を呼んだ。 自分の技術は、世界でも通用する──。 その自信をつける一方で、1試合での出場時間はわずか2~3分。攻撃のアクセントとしてスポットでの起用が続き、消化不良が続いた。 そんな現状を打破するべく、原田はスペイン3年目の今シーズン、ショタFSへの期限付き移籍を決断した。 「世界最高峰の選手として、今度はトップチームで活躍できるように」 この丸2年での手応えと課題と向き合い、2年間の“武者修行”に意気込む原田に、話を聞いた。 取材・文=北健一郎 編集=青木ひかる ※インタビューは2024年8月17日に実施しました
メッシも過ごした「ラ・マシア」で2年間生活
──日本に帰ってくるのはいつぶりですか? ちょうど1年くらいですかね。久しぶりに日本のご飯を食べたらすごく美味しく感じて、なんだかホッとしました。今は町田の練習に参加させてもらいながら、地元の京都に帰ってというのを3往復ぐらいしています。 ──スペインリーグに挑戦してから丸2年が経ちました。言語の違いも含めて向こうでの生活には慣れましたか? スペイン語については、移籍した当初は全く話せなかったから、練習メニューもわからない状態でした。なので最初の3カ月は「見て覚えろ」と言われてましたね。1年目は日常生活も、翻訳アプリに頼りながらコミュニケーションをとっていました。 でも、そのままだとなかなか身につかないから、思い切ってアプリを使うのはもう辞めようと。そしたらどんどん喋れるようになりました。 今は普通に話せるし、町田に帰ってきてからもバナナ(クレパウジ・ヴィニシウス)とか(森岡)薫さんとスペイン語で話したり、ビゴージの通訳をすることもあります。 ──ゼロの状態から、ものすごいスピードで上達したんですね。 ラ・マシア(バルセロナの育成組織の寮)で生活していたのですが、そこのみんなとスペイン語で交流しつつ、昼間は語学学校にも通って勉強してました。あとは、ラ・マシアにも家庭教師の先生が来てくれて個人レッスンもしてくれていたので、だいぶ喋れるようになりましたね。 ──あの有名な!どんな生活をしていたのか、もうちょっと詳しく教えてほしいです! 家が遠い選手が住むことになっているんですが、サッカーとフットサルだけではなく、バスケ、ホッケー……。いろんな競技の選手がいて、下は9歳から、上は23歳くらいまでが共同生活をしていました。 18歳以上と女子選手は1人部屋、小さい子は4人部屋で、たしか13歳から2人部屋だったはず。今年セレッソ大阪に加入した、仁胡(髙橋センダゴルダ仁胡)選手もいたので、一緒に過ごすことが多かったです。 ──寮も語学学校も個人レッスンの費用も、クラブが負担してくれていたんですか? そうです。1年目は学生ビザだったのでプロ契約ではなかったんですけど、2年目からは選手としてのお給料も貰えていたので、貯金ができました(笑)。 ──ちなみに、2年目のお給料は……? だいたい円に換算すると、23~24万円くらいですかね。でも、食費も出してもらっているから、生活費の支出はほぼゼロ。 ピト選手とかフェラオ選手くらいになると、たぶん1億円くらいはもらっているんじゃないかな。もちろんお金のためだけにやっているわけじゃないですけど、やっぱり夢がありますよね!
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