松本幸四郎 『勧進帳』武蔵坊弁慶 「常に、ここから逃げ出したいと思っています」【今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より】
声も体力も精神力も。全てを使い果たすようにできている
── 「判官御手」ではあの大きな弁慶が小さくなって手をついて頭を下げっぱなしです。 幸四郎 前の芝翫(七世中村芝翫)のおじさまに義経を教えていただいた時、「今なら手を取り合って、よかった!ありがとう!とふたりが抱き合って喜ぶ場面だよ」と。「判官御手」のところはそもそもそれを表現しているのだと。そしてあのくだりになると舞台のエアコンを少し下げたのかなと思うほど、気温がサーッと下がる気がするんです。四天王で出ていたときはそれを毎回感じていました。小松の海辺、砂浜の広さ、松林を抜ける風を感じるんです。文楽だとあそこで松羽目をとっぱらうんですよね。 ── 宴になり、弁慶が小さな盃で一杯目を飲みますが、一瞬、ほほ笑むような首をちょっと傾けるようなしぐさをしますね。 幸四郎 ここを通り抜けられたというホッとした気持ちですね。ここまで来れたぞという。ただ、あそこで富樫が再び現れることが不思議なんです。その前の場面で泣き上げて引っ込んだままの方が役として良くないかな。この狂言が作られた当時、そう言う人がいなかったのかなといつも思うんですよね。「さっきは疑ってごめん!うん、もう全然疑ってないよ。だから酒飲んでいって。で、よかったら踊ってくれたらなおうれしいよ」っていう感じがどうも……(笑)。そもそも臆病口から引っ込むことにも、「長袴履いてるのに入れるわけないじゃないか」と言う人もいなかったんですかね(笑)。 ── でもあの入り方、カッコいいですよね。 幸四郎 そうなんです。カッコよく見えるから残ったんでしょうね。冷静に考えるといろいろ「はてな」があるけれど、そう思わせないカッコよさ、テンポ、舞台の上の理屈、そういうものが『勧進帳』を作っているんだなと思います。結果として宴の場に富樫がいるとやはり絵になるし、「この人もきっと責任とって切腹する覚悟だな」とか物語も膨らみますから。 ── 富樫のスピンオフ作品もありますしね。 幸四郎 そうですね。たしかに。 ── 弁慶はここで酔っぱらってはいないんですか。あれほど飲んで。 幸四郎 まあ酩酊……くらいでしょうか。良い機嫌になって踊り始めるということなので。 ── 弁慶は義経一行を先に逃して、花道の付け際で自分の笈を背負いながら、所作台を強く踏み鳴らし、腰を低く落とし、駆けるような動きをします。 幸四郎 あそこは強さを表しているのでしょうね。その間も目線はずっと義経の後ろ姿を見ています。幕が引かれると、義経一行の姿が小さくなったところで、富樫に礼を伝えるつもりでお辞儀をします。ただそれだと、明らかに富樫が義経と知って逃がしてやったというふうにも見えるので、どこまでどんなお辞儀をするかは難しいところです。 ── そして六方を踏んで、毒蛇の口を逃れたる心地で陸奥の国へと向かっていきます。凄まじい勢いで揚幕に飛び込んでいくため、奥でお弟子さんに受け止めてもらわないと自分では止められないと。 幸四郎 そうなりますね。毎回そこで全部力を使い果たしたことを実感するんです。「声も体力も精神的なものもすべてあそこで使い果たせるように、『勧進帳』の弁慶はできている」と、父もよく言っています。 ── おしまいに。関所を破ったばかりの弁慶に声をかけてあげるとしたら何とかけますか。 幸四郎 うーん、「あなた泣き虫でしょ、デカいのに」かな。「すごい感激屋さんだよね」とか。 ── えっと、もう少しやさしい言葉でお願いします。 幸四郎 うーん……「大変だったね」ですかね、やはり(笑)。 ── これまでいろいろな方の富樫と真っ向勝負してこられましたが、どなたの富樫がもっとも怖かったですか。 幸四郎 そうですね、やはり父の弁慶で叔父の富樫という構図が僕の頭にはしっかりと焼きついていますし、叔父の富樫で僕も弁慶を勤めてますので、やはり叔父の富樫にはつい本当のことを言ってしまいかねないです。「僕は本物の山伏ではありませんよ」って(笑)。 取材・文:五十川晶子 <プロフィール> 松本幸四郎(まつもと・こうしろう) 1973年生まれ、東京都出身。二代目松本白鸚長男。1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に子役で出演。1979年、歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を襲名して初舞台。1981年、歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。2018年1月、歌舞伎座 高麗屋三代襲名披露公演「壽 初春大歌舞伎」で十代目松本幸四郎を襲名。古典のみならず、新作歌舞伎、劇団☆新感線作品、映画、ドラマでも俳優として活躍。叔父・中村吉右衛門を継いで主演する「鬼平犯科帳」(ドラマ&劇場版)では息子の市川染五郎と共演したことも話題に。 <公演情報> 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」 【昼の部】11:00~ 一、『摂州合邦辻』 二、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』 【夜の部】 一、『妹背山婦女庭訓』 太宰館花渡し 吉野川 二、歌舞伎十八番の内『勧進帳』 2024年9月1日(日)~25日(水) ※17日(火)休演 ※昼の部は20日(金)貸切。幕見席は営業 会場:東京・歌舞伎座