松本幸四郎 『勧進帳』武蔵坊弁慶 「常に、ここから逃げ出したいと思っています」【今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より】
毎月歌舞伎座公演で上演される演目のなかから、気になる場面やせりふ、キャラクター、衣装などをピックアップ。客席からは知る事のできないあれこれを、実際に演じる役者に直撃質問! これを読めばきっと生の舞台を体感したくなるはず。 さぁ、めくるめく歌舞伎の世界へようこそ。(「ぴあ」アプリ&WEB「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より転載) 【全ての写真】松本幸四郎さんインタビューカット、最新舞台写真ほか 緞帳がサーッと上がり、五色の幕から富樫と番卒が出てくる。まだ少しざわついていた客席は一気に静まり、そこからはもう『勧進帳』の世界。歌舞伎の中でもトップクラスの人気演目だ。安宅の関にかけて「またかの関」なんて言われるが、何度見てもそのたびに新鮮で面白く、何度聴いても寄せの合方に心震える。そして虎の尾を踏む男達のドラマに心揺さぶられる。そんな男達を率いて、源義経を毒蛇の口から逃そうと絶体絶命のピンチに立ち向かうのが武蔵坊弁慶だ。 <あらすじ> 兄頼朝と不和となった源義経は、家臣の武蔵坊弁慶らとともに山伏に身をやつし、奥州平泉を目指している。しかし頼朝の命を受け設けられた安宅の関の関守、富樫左衛門は一行を怪しんで……。 『義経千本桜』『御摂勧進帳』『弁慶上使』……と武蔵坊弁慶の登場する狂言はいくつかあるが、主の義経の危機を正面突破する英雄として描かれているのが、この『勧進帳』の弁慶だ。今月の深ボリ隊はこの武蔵坊弁慶をロックオン。なぜ弁慶は関を突破できたのか。そして『勧進帳』はなぜあんなにドラマチックなのか。 今月の歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」で弁慶を勤めているのは松本幸四郎さんだ。「ゆけ!ゆけ!歌舞伎 “深ボリ”隊!!」連載の第1回に登場してくれた幸四郎さんが、再登場!『勧進帳』では、太刀持、四天王、義経、富樫左衛門と勤め、弁慶は7度目となる。初日が開いて間もないある日、幸四郎さんを直撃した。
Q. 義経を守るため、ピンチに立ち向かう弁慶の心情は?
── 「二代目播磨屋 八十路の夢」という文言の入った『勧進帳』ですね。 松本幸四郎(以下、幸四郎) 80歳で弁慶をやると叔父が本当によく言っていました。そんな叔父が80歳になる年の秀山祭ですので『勧進帳』がかかればいいなとは思っていたんです。まずはそれが叶って嬉しかったですね。そして自分が弁慶をやらせていたただけることになり、お客様が『勧進帳』をご覧になっている間は叔父を思い出していただけるよう、それを目標にしようと思いました。叔母からも叔父の使っていた数珠を使ってほしいと言ってくださり、僕もそれはぜひ使わせていただきたいと。また、叔父はたいていは黒の巻物を勧進帳読み上げで使っていましたが、最後に弁慶を勤めたときは白に砂子の巻物でした。ということで今回僕も白を使っています。また高麗屋では「滝流し」という場面をやることがありますが、今回はしません。どこまでも叔父の弁慶を意識してやらせていただいてます。叔父の弁慶は大きな岩のような感じがするんです。とにかく圧倒的な強さ、男らしさを感じますね。 ── 幸四郎さんが弁慶を勤められるのは今回で7度目ですが、拵えについては初役から何か変わってきたところはありますか。 幸四郎 弁慶はとにかく大きい体にするので、着肉、つまり綿の入った上着や腹巻を身に着けるのですが、使う分量がだんだん減っている感じです。これはまあ初役から10年たって僕が太ったということですかね(笑)。でなければ筋肉がついたということにしておきましょうか。実際に自分の体と補正する分量とのバランスが大事なんですよ。父(松本白鸚)の幸四郎襲名のころも、すごくたくさん着肉をつけているイメージがありました。僕が幸四郎襲名したのは40過ぎですから、さすがにそこから10㎏、20㎏と体重が変わるわけはない。でも最近はもう腹布団1枚くらいしか使ってないですね。 ── 「ああ、もうこの部分の着肉は要らないな」と、だんだん要らなくなってきたということでしょうか。 幸四郎 そういうことなのでしょうかね。形さえ近づければ弁慶になれるかというとそうではないですし、体のサイズは変わらないのに役としては大きく見えるようになってくる。動き方、芸が変化してきたということでしょうか。不思議ですよね。 ── 顔についてはいかがですか。写真を並べてみると、眉などだんだんナチュラルになっているようにも見えます。 幸四郎 初役の時に父から「君の理想の弁慶像があるかもしれないけど、今の君の弁慶をやることだ」と言われました。最初は強く大きく見せたいと思うんです。でも父や祖父(初世松本白鸚)と同じように顔をしたくてもキャンバスが足りない、顔の大きさは違うわけです。限られたキャンバスの中で強く強くと描いていくと、だんだん自分の顔からかけはなれたものになっていく。今月も毎回、自分の弁慶の顔になっているかなと考えながら顔をしています。 ── 金剛杖など小道具は何かこだわっていらっしゃいますか。 幸四郎 これはもう身長の違いがあるので、祖父のものは短くて父も叔父も使えないんですね。僕は最初に作ったものをずっと使い続けています。枯れてくるとだんだん軽くなって使いやすくなってきています。 ── 富樫の名乗りがあり、いよいよ義経一行が花道を出てきます。この時の寄せの合方、聴くたびにゾクゾクします。「キターッ!生きててよかった!」という気持ちに。 幸四郎 あれはほんとにいつ聴いてもワクワクしますね。『勧進帳』では太刀持、四天王、義経、富樫と勤めてきましたが、音の聴こえ方も舞台の見え方も役によって違うものです。富樫からすればあの花道のくだりは、とても遠いところで行われているような、そんな時間なんです。 ── 本舞台に一行がやってきて関所の富樫と対面します。 幸四郎 富樫からすると義経は、すごく違和感があるというか普通ならありえない気になる場所にいるんですよ。だから何だかずっと気になる。なのに弁慶が必ず間に割って入ってくる。弁慶が数珠を取りに行くときにチラッと義経が見える。そんな見え方なんです。 ── 一行が関所にやってきたときから富樫は何かしら違和感を感じているんですね。 幸四郎 ただどこの時点で「これは義経だな」と気づくかというのは、もういろいろです。少なくともこの時点ではないですね。僕の場合は後に番卒に言われて気づくというつもりでやっていました。 ── 義経からは富樫はどう見えているのでしょう。 幸四郎 義経からは物理的に何も見えてないですね。視野2mくらいだから(笑)。身分を隠さなきゃいけない人なのに、実は一番目立つ格好してるし。それが歌舞伎なんだけど。 ── 弁慶はずっと力強く台詞を言っているイメージがありますが、「実は自分から発信する台詞は二言しかない」とインタビューでおっしゃっていましたね。 幸四郎 そうなんです。弁慶発信でかける言葉は、花道で亀井たち三人が富樫にかかっていこうとするのを「やあれしばらく 御待ち候え」と止めるところと、本舞台に行ってから富樫に「いかに申し候。これなる山伏の、御関をまかり通る」と名乗るところ。この二言だけなんです。 ── 意外な気がしましたが、よく思い出してみるとたしかにそうだと。 幸四郎 相手の台詞を、正面からどんと強さを持って受けとめているのは確かですけどね。とにかくこの「やあれしばらく」の第一声は緊張します。曾祖父も何か芸談で言っていますが、まずこの第一声が出るとホッとすると。というのは、ここは自分の声のはねかえりがないので聴き辛いんです。本舞台ではなく花道に立っているので、前後のお客さんに自分の声が吸い取られて小さく聴こえるんですね。声が届いているかもわからない。「あれ、今日声出てないかも?」って思うことがあります。