なぜ理不尽な冤罪事件は起きるのか。「もうひとつの袴田事件」が伝える「境界線上」で起こる問題【鈴木おさむ×阿武野勝彦】
半世紀におよぶ死刑囚生活を経て袴田巌氏が無罪を勝ち取った、前代未聞の冤罪事件「袴田事件」は昨年、世間に大きな衝撃を与えた。同事件と同じく、検察による自白の強要、証拠の捏造の可能性が指摘されているのが、1961年に起きた「名張毒ぶどう酒事件」だ。 【写真】89歳で獄中死した、「名張毒ぶどう酒事件」で犯人と目された奥西勝氏 村の懇親会で振る舞われたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡。犯人と目された奥西勝氏(当時35歳)は一度は犯行を認めるも、裁判で否認。一審では無罪を勝ち取ったが、二審で死刑を言い渡された。無実を訴え続けるなか、89歳で獄中死。妹の岡美代子氏(現在95歳)が再審請求を引き継ぐも、半世紀にわたり棄却され続けている。 再審請求は有罪判決を受けた者の配偶者、直系の親族及び兄弟姉妹にしかできない。彼女が亡くなれば、奥西氏の無実を証明する機会は永遠に失われる。 そんな妹・美代子氏に残された時間を追ったドキュメンタリー映画『いもうとの時間』が1月4日より公開中だ。『ヤクザと憲法』『人生フルーツ』『さよならテレビ』などの話題作で知られる東海テレビドキュメンタリー劇場の最新作で、手掛けたのは、それらヒット作を生んだ名物プロデューサーの阿武野勝彦氏である。 阿武野氏は今年1月に東海テレビを退職。本作は同局での最後の作品となる。そんな阿武野氏が一度じっくり語り合ってみたかったというのが、放送作家の鈴木おさむ氏。鈴木氏も昨年3月で放送作家と脚本業を引退しており、東海テレビドキュメンタリーのファンであることを公言している。 FRaU webでは、ふたりの対談を全3回にわたりお届けする。第1回となる本記事では、『いもうとの時間』を通して冤罪事件が起こる背景について考える。
一審無罪、二審死刑になった唯一の事件
――東海テレビは1961年に発生した「名張毒ぶどう酒事件」を1977年から取材しはじめ、以降多くの番組を制作しました。阿武野さんのプロデュースで劇場公開に至ったものだけでも、『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』(13)、『ふたりの死刑囚』(16)、『眠る村』(19)、そして今回の『いもうとの時間』と4本もあります。 鈴木:何十年も追いかけてるんですよね。誰がやり始めたんですか? 阿武野:門脇康郎(かどわき やすろう)という私より15歳先輩、1944年生まれのカメラマンです。もともとはスタジオのカメラを操作するスタッフで、ニュースや報道とは関係なかったんですが、「テレビ局員は全員ジャーナリストであるべき」という考え方の持ち主で、「名張毒ぶどう酒事件」のことを個人的にずっと調べてたんですよ。 1987年に報道局が賞を狙わなきゃいかんみたいな空気になったとき、「そういえば門脇さんが名張毒ぶどう酒事件のことを追ってるぞ」となり、門脇さんの取材に乗っかる形で番組化が始まりました。 鈴木:賞は取れたんですか? 阿武野:いえ。取れなくて、サポートした報道の面々は事件から離れたんですが、門脇さんだけが取材を続けました。その後、私がドキュメンタリーの担当になった2005年に名古屋高裁の再審開始決定があり、門脇さんにお願いして再始動したんです。門脇さんはもう60歳を過ぎていたので、ディレクターを2代目の齊藤潤一に引き継ぎ、2014年には3代目の鎌田麗香に引き継ぎました。その間ずっと門脇さんに監修を続けてもらっています。 鈴木:『いもうとの時間』には、2024年10月に袴田巌さんの無罪が確定した「袴田事件」(※)のことが結構入っていますよね。 ※袴田事件 1966年6月30日、静岡県清水市の味噌製造会社の専務宅が全焼し、専務ほか一家が刃物で刺された死体が発見された事件。警察は味噌工場の従業員で元プロボクサー袴田巌氏を逮捕、同氏の自白を引き出し、1980年に死刑が確定したが、2024年10月に無罪が確定した。 阿武野:2024年2月、『いもうとの時間』のテレビ放映時には、まだ「袴田事件」の再審判決は出ていませんでしたが、「袴田事件」自体のことは入れていました。その後、無罪判決を追加取材して劇場版に盛り込みました。 鈴木:「名張毒ぶどう酒事件」と「袴田事件」は、冤罪の可能性が高いとして『ふたりの死刑囚』などでも並べて取り上げられていますが、やはり2つの事件を比較することによって、そして今回「袴田事件」の無罪判決が出たことによって、より鮮明に表れたものがありますよね。 阿武野:「袴田事件」との違いは証拠物の出し方です。「袴田事件」の場合は「味噌樽の中に入っていた衣類」といった物証が争点になっていましたが、「名張毒ぶどう酒事件」の場合、明確な物証がない。ぶどう酒の瓶のフタである王冠についた歯型とか、毒として使われた農薬が自供と違っていたという科学鑑定を弁護側が出しても、再審の扉は開きませんでした。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が守られていないんです。しかも、名張毒ぶどう酒事件は「一審無罪、二審死刑」という戦後裁判史に例がない逆転判決です。