「なぜ森保監督はボール拾いをするのか?」日本代表・森保一監督56歳が行う“異例の雑用”、本人は「監督はあくまでポスト」審判の判定に怒りの抗議も…
「監督はあくまでポスト」「当然だと思います」
実は森保監督による球拾いは、今に始まったことではない。2018年7月に森保監督が日本代表監督に就任して以来、よく見られる「日常の風景」なのだ。日本代表をよく取材する記者なら誰もが知っており、当たり前すぎてもはや話題にならないほどである。ゴールを運ぶ姿もたびたび見られる。 なぜリーダー自ら率先して雑用をするのだろう? 2019年12月にフジテレビ系列で放送された密着番組『密着180日 なぜ森保一は日本代表監督なのか? 』(テレビ静岡制作)において、森保はこう説明した。 「できることは監督であれ、コーチであれ、スタッフであれ、選手であれ変わらないと思います。監督はあくまでポスト。肩書きの違いであって、チームをつくるという意味では同じ仲間。(球拾いをしたりゴールを運んだりするのは)当然だと思います」 仲間なのだから助け合って当然――そう考えているのだ。
“後輩のためにやり返した”高校時代
その哲学がよくわかるのが、試合中に日本の選手がファールを受けたときである。 森保監督は日本の選手が削られると、人目を気にせず感情をあらわにする。 たとえば、11月のアウェーの中国戦の後半3分、中国の左サイドバックが蹴り出したボールに田中碧が走り込んだところ、中国のMFがボールではなく田中の体を目掛けて突進。田中はラインの外に弾き出されて転倒してしまった。ボールに向かってプレーしておらず、明らかなファールである。 森保監督はすぐさま右手を振り下ろし、両手を広げて抗議の声をあげた。主審が笛を吹かなかったため、さらに右手を振り下ろして怒りを爆発させた。 結局、このこぼれ球を拾われてカウンターを食らい、日本は1点を返されてしまう。選手を怪我から守るという意味でも、森保監督としては受け入れ難い判定だったに違いない。 この連載ですでに紹介した通り、森保は選手時代から味方が削られると真っ先に正義感を燃え上がらせるタイプだった。長崎日大高校時代、後輩が汚いファールを受けた際、相手に蹴りを食らわせたという逸話が残っている(連載第5回)。 社会人になってからは感情をコントロールするようになり、今では監督としてコーチングエリア内から声をあげるのみだが、体の奥底には仲間のためなら衝突も辞さない熱さを秘めているに違いない。 今年11月にDAZNの番組『やべっちスタジアム』に出演した際、タレントの矢部浩之に「ヨーロッパで活躍する選手をどうまとめていますか?」と質問されると、次のように答えた。 「変にしばってまとめようとしていないんですよ。最初からグループありきでチームづくりをしないというか。個性があって、その個性が融合してひとつのチームになるという考え方です。 それが日本の良さであり、チームのために、仲間のために、日本のために俺はやる、という組織になってほしいという思いでやっています。選手も実行してくれています」 仲間のために闘う。それが森保ジャパンの魂であり、スタンダードなのである。 <前編から続く> 【「誰も知らない森保一」連載の一覧リストはこちらから】 森保一(もりやす・はじめ) 1968年8月23日、静岡県生まれ。長崎県出身。1987年に長崎日大高を卒業後、マツダサッカークラブ(現・サンフレッチェ広島)に入団する。現役時代は、広島、仙台などで活躍し、代表通算35試合出場。1993年10月にドーハの悲劇を経験。2003年に現役引退後、広島の監督として3度のJ1制覇。2018年ロシアW杯ではコーチを務め、2021年東京五輪では日本を4位に、2022年カタールW杯ではベスト16に導いた
(「誰も知らない森保一」木崎伸也 = 文)
【関連記事】
- 【前編を読む】「いざというときの森保さんはスゴい」森保一監督56歳の執念…当時の広島関係者が証言「まだ24時間ある」徹夜で仕事「他クラブでは“ぬるさ”を感じた」
- 【貴重写真】「やんちゃそうな」高校時代~18歳の森保監督、貴重なマツダ時代&「筋肉がスゴい」20代の森保さんなどすべて見る(20枚超)
- 【連載初回《金髪》編を読む】「えっ! ハジメくん金髪?」森保一監督の“いきなり金髪伝説”とは「ハジメくん、やんちゃでしたから」中学卒業式、地元で有名なエピソード
- 【連載《結婚》編を読む】「僕と妻は高校時代の同級生です」日本代表・森保一監督が明かした“結婚生活”「“パチンコ好き”だった」アマチュア選手を変えた妻の存在
- 【連載《パンチパーマ》編を読む】「お前、その髪型で車が売れると思うか?」18歳森保一がパンチパーマにした日…恩師が叱った森保監督のやんちゃな“新入社員時代”