災害被害を受けた鉄道、廃線と復旧の分かれ目は?
7月10日前後に日本列島を襲った台風8号は、各地で農林水産業や交通インフラに深い爪あとを残した。中でも、長野県ではJR中央線で鉄道橋が流失し、一部区間で不通の状態が今も続く。この不通区間は、8月のお盆前には復旧する見通しだが、過去、災害をきっかけに、廃線となった鉄道の事例は少なくない。こうした鉄道の復旧と廃線、判断の分かれ目はどこにあるのだろうか? ■中央線は1ヵ月で復旧の見込み JR東海によると、7月9日の台風の影響で、長野県の中央線・南木曽駅~十二兼駅間で、大規模な土石流が発生。橋げたが流出したほか、長さ約300メートルにわたる土砂流入や架線の切断など、大きな被害が出た。JR東海は当初、「運転再開には少なくとも1か月以上はかかる見込み」と発表。その後、報道によると、同社の柘植康英社長は7月16日、「復旧は、順調にいけば8月9日前後」と明らかにした。一方、阿部守一・長野県知事も、「一日でも早い、一刻でも早い中央線の開通を」とJR側に要請。この中央線の被災に関しては、中京圏~長野県~首都圏を結ぶ重要な交通ネットワークの一角であるだけに、JR側も県側も「復旧」は既定路線だったようだ。 ■宮崎・高千穂鉄道、鹿児島交通枕崎線などは廃線に だが、被災をきっかけに、廃線となった鉄道の事例はよくある。2005年9月、宮崎県の第3セクター・高千穂鉄道は、台風で鉄橋が流されて運休を余儀なくされた。その後、関係者の努力もむなしく、2008年12月に廃線が決まった。また、同じ九州の鹿児島交通枕崎線も、集中豪雨で被害を受けたことをきっかけに、1984年3月に廃止となった。最近では、岩手県のJR岩泉線も2010年7月、土砂崩落で列車が脱線し、全線が運休。JR東日本は2013年11月、廃線を国に届け出た。 ■廃線候補から一転、復旧した路線も 一方で、大きな災害にあっても、粘り強く復旧を果たしたケースも、もちろんある。山口県のJR美祢線(厚狭~長門市)は、2011年7月に豪雨による災害で全線の46キロが不通になった。読売新聞山口版の記事(2012年6月4日)によると、JR西日本の幹部は当初、復旧を訴える山口県に対し、「廃止したい路線と位置付けている」と語ったという。危機感を抱いた県は、5億円の支援を決めたり、利用促進を呼びかけたりした結果、JR側も復旧に着手。2011年9月末に運転再開にこぎつけた。 また、2011年3月の東日本大震災で壊滅的な被害を被った岩手県の三陸鉄道も、 2014年4月に全線復旧を果たし、話題となった。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」でも描かれたように、地域の人々が鉄道を温かく見守り、はぐくんだ。