アメリカ文化と日本文化の意外な共通点(下)――アメリカ建築・日本建築・モダン建築
プレイリーハウスとは
初期のライトは住宅の建築家であった。 その作風は「プレイリーハウス(平原住宅)」と呼ばれる。広々としたアメリカの草原にふさわしい住宅様式という意味だ。ヨーロッパの建築は、住宅でも壁が鉛直に建ち上がるのが基本であるが、ライトのプレイリーハウスは、傾斜屋根の軒が深々と張り出し、壁と窓が、少し高くなった植え込みの奥に隠れて目立たない。そして部屋と部屋とが、たとえば桂離宮に見られるように、廊下を介さずズレながら連続していく。ヨーロッパに伝統的な「垂直線の建築」ではない、アメリカの草原にふさわしい「水平線の建築」の希求であり、そのアメリカ的なるものの追求が、当時の世界的モダニズム思潮と合流したのだ。そこには明らかに日本の木造建築の影響が見られる。ライトは日本建築と日本文化をよく研究していた。特にその浮世絵収集は、素人の域を脱しているとされる。 アメリカ合衆国の風土は、西部が乾燥して暖かい地中海型の気候で、東部が湿潤で寒い北ヨーロッパ型の気候である。西部はスペインが植民地化し、東部はイギリスが植民地化したので、それぞれその風土にあったところに植民したことになる。そしてカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスなど南西部の建築はメキシコ、スペイン風(土の建築)が基本である。もちろん東部はイギリス風が多いが、一つのモデルとして日本があった。アメリカ初期の木造建築には日本風(木の建築)も垣間見られるのだ。 アメリカの文化は、ヨーロッパから大西洋をわたって西部開拓するという形、つまり西へ西へと向かったといえる。その西の果て、太平洋の向こうに、日本という不思議で魅力的な文化がある。ヨーロッパの国々が、インドや中国の延長と考えたのとは逆の感覚だ。ヨーロッパという過去からの離脱を旨とするアメリカン・モダニズムの底流に、日本の木造建築の影響が忍び寄るのは、ある意味当然なのかもしれない。