繰り返されるクーデター「タイ式民主主義」の行方は /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
政治混乱が続くタイで2014年5月22日、軍がクーデターを起こし、まずは行政を、続いて立法府も掌握した「完全クーデター」へと発展しました。どうやら司法府も傘下に置かれたようです。全権を握ったプラユット陸軍司令官は「国家平和秩序評議会」の議長に就任すると発表しました。当面は軍政が敷かれるとみられ、議会制民主主義の根幹をひっくり返す暴挙という批判が国際社会からも起きています。 繰り返されるクーデターと絶対的な存在の国王が混乱の幕引きを行ってきた、いわゆる「タイ式民主主義」。その背景と今後をみてみましょう。
タクシン派と反タクシン派の対立が背景
混乱の背景は「タクシン派」と「反タクシン派」の衝突。タクシン氏は2001年に首相に就任し、実業家出身らしくタイの経済成長に寄与しました。半面で「政治とカネ」の問題や身びいき人事、ばらまき政策で批判も浴び、政権長期化とともにタイ国民の敬慕を一身に集めるプミポン国王(ラーマ9世)および王室を軽視する発言が目立ち、将来的に王制を廃止して自らが大統領になる野望を抱いているといううわさが絶えませんでした。 一方タイの陸海空3軍は国王が統帥権(指揮権)を握る「国王の軍隊」です。後述するように議会制民主主義に欠かせない選挙でタクシン派は「ばらまき」と非難もされた政策で貧しかった東北部や北部で圧倒的な支持を得、それは06年のクーデターでタクシン氏自身が追われた後も「タクシン派」を支える大きな要因となりました。
06年クーデターでタクシン氏失脚後も混乱
06年のクーデターで憲法を停止した軍司令官はただちに国王へ報告し、2日後にはひざまずいて報告する姿を公開しました。この時もタクシン派の反発は相当でしたが首都バンコクでの世論調査で84%が「クーデターを支持する」と回答したとの報道がなされたように「王様がお認めになった」は大きなお墨付きになりました。 その後に作った新憲法では議会(上下両院)のうち上院の半数を国王の任命とし、半数は国民の選挙ながら政党は排除。その上院が承認して国王が任命するのが憲法裁判所裁判官。この仕組みでタクシン派を押さえ込める……はずでした。しかし07年、11年、14年の総選挙はいずれもタクシン派勝利。その度ごとに憲法裁判所が首相を失職に追い込んだり、タクシン派政党を解散させたり、選挙を無効にしたり。「反タクシン派」も選挙で勝てないのを見越してボイコットやデモで対抗します。 今回の騒動もインラック首相(タクシン氏の妹)を憲法裁が失職させ、内閣の一員だったタムロン首相代行らに軍は総辞職を迫ったのを拒否。一方で「反タクシン派」の中心でデモを率いてきたステープ元副首相は議会制民主主義そのものを否定する過激な思想の持ち主で、彼らの主張を認めると選挙を経ない暫定首相を選ばなければなりません。「国王の軍隊」が憲法に基づかない首相を国王に承認してもらうわけにもいかず、といって放っておけば混迷がさらに深まり、結局「全部ダメだ」とクーデターでケリをつけようとしたもようです。