生徒の半数が「落ちこぼれ」…どん底で27歳の中学教師が始めた「夜の学習会」が教育現場を変えた
「帰省すると、必ず中学時代の話になります」
27歳で赴任した2校目の学校はたいへん荒れていた。なんとかこの現場を変えたいと思った私は、まず保護者向けに「夜の学習会」なるものを立ち上げた。 なぜそんなことを始めたかというと、学校に発達障害、あるいはそれに加えて二次障害まで抱えている子や、荒れている子、不登校の子が、あまりにも多かったからだ。 〈これは、学校だけで何とかしようとしてもだめだ。家庭での対応も変えてもらわないと〉 そう思って赴任1年目に学校で提案し、案が採用されたので、さっそく私の学年の保護者と始めたわけである。 月に1回、だいたい夜の7時から8時半、遅いときは9時ごろまで、半年間続けた。まず私の模擬授業をあつまった保護者に見ていただき、そのあと発達障害や不登校などといったテーマについて勉強会を行う。おすすめの本があれば紹介する。そしてそのあとディスカッションや雑談などをする、という流れだった。当初は数名しか集まらなかったが、回を重ねるごとに人数が増え、いつしか学年の9割の保護者が参加してくださるようになった。 同時に、当時のPTA会長と一緒に「おやじの会」を立ち上げた。これは毎月1回、私と生徒たちの父親が居酒屋で飲みながら語る会合だ。その席では、私はアルコールを口にせず、ソフトドリンクを片手に父親たちと語り合ったが、面白いことにだんだん母親の参加率が高くなり、ついには店を一軒貸し切って、大勢で「子どもをどう伸ばすか」「学校をどう変えるか」といった議論をする場になっていった。 授業や生徒指導などの本来の業務は、もちろん疎か(おろそか)にはしなかった。 授業の展開の仕方や、日記指導、学級通信などを通じて生徒に関わり、変容させていったことについてはすでに過去の記事で何度も書いたので、ここでは省略するが、真剣に、がっぷり四つに組んで取り組むと、保護者の大多数は必ず教師の強い味方になってくれる。 荒れていた勤務校でともに学校改革に取り組んだPTA会長は、私が異動した後も、誕生日の午前零時に必ずお祝いのメッセージを送ってくださる方だった。そのなかの1通を引いてみる。 「長谷川先生にお会いできてから、もう9年の月日が流れようとしています。 息子も、そして私も大きな影響を受けさせていただきました。 愚直なくらい、真面目な先生を見習って、私も精進したく思っています。 帰省すると、必ず中学時代の話になります。息子の人生の中でも大変充実した三年間だったからだと思います……」 教育現場でも働き方改革が進められている今日、「おやじの会」や学習会まで教師が主宰するのは「現実的ではない」との声もあろう。しかし、緊急時、あるいはどうしても必要なときは、誰かがやらねばならない。そんな仕事を私はしてきたと今でも思っている。 とはいえ、私のかつての勤務校ほどはひどくない教育現場もあるはずだ。また、教師の異動によって、それまで継続していた子ども・保護者への対応が帳消しになってしまっては意味がない。 たとえば学校に不登校の子がいて、その子の担任が毎日、授業後に家庭訪問をしていたとしよう。教師の熱心さは理解したうえで、いまの私だったら「やめるように」とアドバイスするかもしれない。 なぜならそれは勤務時間外のサポートなので、担任が変わったらできなくなる可能性が高いからだ。勤務時間内にできることを最大限、工夫して続ける。そして異動になった場合は後任に引き継ぐのが基本だ。その基本をはずれることなくできそうなことを、後編で書きたいと思う。 後編記事〈結局すべては「授業」で決まる…保護者と良い関係を築くため中学教師に欠かせない「最も基礎的な力」とは〉へ続く。
長谷川 博之