生徒の半数が「落ちこぼれ」…どん底で27歳の中学教師が始めた「夜の学習会」が教育現場を変えた
アパートの一室で、血まみれで倒れていた保護者
学校と家庭は車の両輪だ。反対方向を向いて走っても、車は前進できない。そんなことは誰でもわかっているはずなのだが、現実には保護者と学校(教師)の関係がうまくいっていないことも多い。 保護者との関係で苦しい思いをしている教師は現にいるし、セミナーでも私は「どうしたらいいか」と具体的な事案について質問されることがある。ときどき、相談のメールやメッセージが届くこともある。その都度、内容に沿って自分の考え得る限りの答えを示し、できるときには個別に方策を立てたりもする。 「モンスターペアレント」という言葉を造ったのは、私の師である向山洋一先生だ。学校には様々な保護者がいる。ある学校で生徒指導主任を命じられ、全校の生徒指導の責任者として働いていたときには、我が子の課題を鋭く指摘されたことで私に敵意を抱き、以後、足を引っ張ろうとする保護者もいた。嫌な思いもした。 心に不調を抱えている保護者もいる。私の目の前で橋から飛び降りようと身を乗り出した保護者を、ダイビングで止めたこともある。 ある女子生徒の親は、毎週のように自殺未遂をくり返していた。ある朝の4時、私の携帯にその生徒から電話がかかってきた。 「先生、またやりました」 あわてて母娘が暮らす質素なアパートに行ってみると、リビングが血まみれになっていて、母親が倒れていた。すぐに救急車を呼び、搬送を見届けたうえで女子生徒と2人、こびりついた血を雑巾で泣きながら拭った。 何のめぐり合わせか、こんな“非日常”がめずらしくない時期もあったが、全体から見るとこのような難しいケースはごく少数だ。どんなにコミュニケーションをとっても折り合いがつかないケースは確かにあるが、保護者はたいてい心の奥底では子どものことを思っている。 そして保護者には及ばないとしても、教師にだって子どもを支えたいという気持ちはある。であれば、同じほうを向き、ともに汗をかいて力を尽くす「共汗関係」を築くのは不可能ではないはずだ。どうしたらいいだろうか。 保護者が教師のサポーターになってくれる瞬間には2つある。 ひとつは、教師の一所懸命さに気づき、心が動いたとき。そしてもうひとつは、我が子の変容に感動したときだ。この2つを実現する方向で仕事をすれば、ほとんどすべての保護者がその教師の、あるいは学校の味方になってくれる。そう信じて私が取り組んできたことの一部を、ここで書く。参考になれば幸いである。