廃業予定の八百屋を買い取ってアップデート バイト出身の経営者が挑んだ拡大戦略と組織改革
妻の助言で店の継承を決断
働き始めてから20年以上が過ぎた2018年10月、店長を務めていた若月さんは、先代社長から「体調を崩したので店を辞める」と告げられます。偶然にもその日は若月さんの38歳の誕生日でした。帰宅して妻に伝えたところ「それなら、あなたがやれば」と言われました。 「妻はそのころ、美容関連の個人事業主として働いており、『何とかお店をやっていけるんじゃないか』と言われました。野菜をいつも買いに来てくれたり、うちのフルーツのファンと言ってくれたりする人たちに申し訳ないという思いがわきました」 若月さんは翌日には、「ナイトウを続けさせてほしい」と直談判し、先代も快諾してくれました。 先代は会社を畳み、若月さんはWAKATSUという株式会社を立ち上げ、屋号や資材などを買い取る形で、経営を引き継ぎました。先代は本店とは別にもう1店舗を抱えていましたが、「丸々引き継ぐのは無理だと考え、本店だけを残し、私が買い取れる最低限の額にしてもらいました」
創業時の運転資金に苦労
先代の引退を聞いて半年後の2019年3月から、「やさいのナイトウ」は若月さんの会社が経営する形で再スタートしました。 新会社には元々いた従業員の半数に声をかけ、移ってもらいました。若月さんの妻も美容関連の仕事を辞めて加わりました。地元客には若月さんが店を引き継ぐことを伝えており、オープン直後からこれまで通り来店してくれたそうです。 ただ、その裏で運転資金の工面には苦労したといいます。急な事業承継だったこともあり、オープン時に銀行の融資が間に合いませんでした。「自家用車を売ったお金で野菜を仕入れて売っていました。ただし、屋号をそのまま引き継いだことで、仕入れ時のツケ払いができたのが助かりました」 創業から1カ月後に融資が下り、運転資金はいったん落ち着きました。軌道に乗り始めようとしていた矢先、見舞われたのがコロナ禍でした。
コロナ禍で始めたドライブスルー
2020年4月、緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出の自粛が求められます。そこで若月さんは、野菜の詰め合わせを車まで運んで販売するドライブスルー八百屋を始めました。都内の仲卸業者の取り組みをニュースで見てまねしようと思ったそうです。 「コロナ禍は逆に巣ごもり需要で、毎日が年末のように混み合いました」 コロナ禍のさなか、店舗の建て替えという大きな決断も下します。店がある土地の一画にコンビニエンスストアが入ることになったためでした。「店の地主から、このタイミングできれいに建て替えたいといわれました。私も建物の仕様を決めるところから参加しました」 元々、交差点側にあった店舗の位置を下げて店の前に駐車場を整備。旧店舗を残した状態で先に新店舗を作ったため、休業期間は2週間で済みました。