オトコの作業服着が発祥!「セーラー服」はなぜ女性のファッションとして浸透していったのか?
イギリス海軍の水兵服として開発
女子学生の制服として街で見かけることも多い、セーラー服。セーラー(水兵)という言葉が示すとおり、大きな襟の付いたデザインの服は、20世紀前半までは純然たる男の職場だった海軍の水兵が着用する制服が発祥となっています。 【200年経っても基本は同じ!?】これが、ヴィクトリア朝時代のセーラー服です(写真) なぜ、海軍の屈強な兵隊たちの制服が、可愛らしい女子生徒の制服になっていったのでしょうか。セーラー服の歴史を紐解いてみましょう。 セーラー服を最初に導入したのはイギリス海軍で、その端緒は1857(安政3)年と言われています。 実はそれ以前のイギリス海軍というのは水兵に決まった制服はなく、艦長などの士官が海戦や航海のたびに酒場などで、今でいう半グレのような人員を徴収した際に、服も支給し水兵とするのが伝統でした。 さすがに18世紀初頭のナポレオン戦争以降は、水兵も正規の軍人になりましたが、制服を艦長が決める伝統は残り続けていました。 しかし砲艦「ハーレクイン(道化師)」の艦長が、艦名にちなんで、道化師の衣装を着せ大問題になったことをきっかけに制服の統一が検討されるようになります。そのとき当時の水兵の作業着などを参考に作られたものが、セーラー服の原型になります。 実は正式採用よりやや前の、1846 年にヴィクトリア女王が4歳の息子のアルバート エドワード ウェールズ王子(後のエドワード7世)にマリンファッションの服を「セーラーズ・ドレス」と呼称して着せており、セーラー服の語源はそこからきているとも言われています。
当時最強だった英国海軍を他国も真似る
セーラー服といえば大きな襟が特徴です。なぜあのような大きな襟を制服にとりいれたのか、そこには大きな理由がありました。まずそのひとつは、万一、水兵が海に落ちたときに役立つからです。 大きな襟は浮きやすく、また海の中でも広がるため、船の上から見つけやすいというメリットがあります。さらに、多少乱暴ではありますが、救助の際に引っ張り上げやすいというのも利点の一つです。 もう一点、収音機能としての役割があったのではという俗説もあります。海上のような波音や風の強い場所では、人の声はなかなか遠くまで届きません。そういった際に大きな襟を頭の後ろに立てて音を拾いやすくすることで、相手の声を拾いやすくすなるからです。 セーラー服を採用した当時、イギリスは世界中に植民地を持ち、「日の沈まぬ帝国」とも呼ばれるほどの勢力を誇っていました。そのような大国の海軍水兵の制服であることから、マリンファッションの最先端であったともいえるでしょう。セーラー服を着用したイギリス海軍の兵士らは世界中で活動したことで、イギリスの威容を自分たちの姿を通して各地の人々に見せつけたのです。 そのおかげもあってか、各国の海軍はこぞってイギリス海軍の水兵服を真似し始めます。日本も1872(明治5)年、海軍省の設立とともに海軍水兵の制服としてセーラー服を導入しています。