オトコの作業服着が発祥!「セーラー服」はなぜ女性のファッションとして浸透していったのか?
英国王室から世界的流行に
とはいえ、子ども向けや女性向けにセーラー服が普及するには、前述したヴィクトリア女王を中心としたイギリス王室が大きく影響していました。 王室がセーラー服を子ども服として採用したことをきっかけに、イギリスの上流階級を中心に、同じような服装を子どもにさせることが流行します。このブームは18世紀末には定着することになり、セーラー服は子ども服の代表格となりました。 当初は、水兵同様ベルボトムタイプのズボンを着用した男の子向けのものが中心だったようですが、次第に半ズボンや、女の子用のスカートタイプなども登場し、広がりを見せていきます。 こうした世界的な流れのなかで、セーラー服が日本の女子学生の制服として導入されたのは20世紀に入ってからのことでした。導入には諸説ありますが、1920(大正9)年に京都の平安女学院で採用されたのが最初だと言われています。翌年には愛知の金城学園、福岡の福岡女学院、神奈川のフェリス女学院などで相次いでセーラー服が採用されています。 男性の制服であったセーラー服がなぜ女学生の制服として導入されたのか。そこには時代背景がかかわっていました。当時は女性の地位向上が世界的に叫ばれていた時代です。 19世紀末から欧米では、今まで家庭の中でおしとやかにしているのが美徳とされた女性たちが、自転車に乗り、海で遊び、スポーツを楽しむ時代がやってきました。そこでもてはやされたのが動きやすいセーラー服でした。 19世紀末のフランスで、ボーイッシュ・ブームの一環として女性がセーラー服を着るようになると、20世紀の初頭にはこの流れがヨーロッパ各国やアメリカへと広がっていき、学校制服などで採用されるケースも出てきました。
和装よりも動くのに向いていた!
そういった世界的な流れのなか、日本でも女性の体格向上と健康増進のために体操教育を取り入れるという考えが広まり、女性のための学校が数多く造られることになりました。 しかし、当時の女性たちは基本的に和装でしたから、運動をするのには向いていません。そこで、女学校を作る際に、動きやすい洋装を制服に取り入れようとなった訳です。その際に活動的な女性のイメージとして、当時欧米で流行していたセーラー服が選ばれたと言われています。 そのころ、まだまだ教育を受ける女性はごく少数であり、学校に通う女子生徒たちは、いわばエリートといえる存在でした。そのようななか、彼女たちは元々男性の服であったセーラー服を着こなし、颯爽と街を歩いていたため、その姿にあこがれを持つ女性が多く生まれるようになります。 こうして、女性向けの高等教育が広がっていくとともに、セーラー服を制服に採用する学校は増えていき、日本の女学生=セーラー服というイメージができ上がったと言えるでしょう。 なお、太平洋戦争の敗戦によって旧日本海軍は消滅したものの、その伝統を受け継ぐ組織として戦後、海上自衛隊が発足したことで、セーラー服はいまでも現役で使われ続けています。 ただし、着用するのは男性海士のみ、女性の海上自衛官は、海士であっても幹部や海曹と同じく冬服はキリリとネクタイを締めたスタイル、夏服は開襟のシャツスタイルになっています。
凪破真名(歴史ライター・編集)