真珠湾攻撃の裏で暗躍した「二重スパイ」の正体…戦場の英雄やセレブなどの顔を持った“怪物”
機密解除された暗号解読記録を読みあさっていると、「新川」という漢字が目に飛び込んできた。コードネーム「ニイカワ」あるいは「シンカワ」とも呼ばれた男が、フレデリック・ラトランドである。 ラトランドは、イギリス海軍の元エースパイロットで、第1次世界大戦で仲間の命を救い、勲章を授与された英雄だった。なぜヒーローがスパイに? その数奇な運命に好奇心をそそられた。 ■真珠湾攻撃への道 日米情報戦 スパイとなったラトランドが活動していたのは、アメリカ西海岸のロサンゼルスだ。記録によると、高級住宅街ビバリーヒルズに住み、裕福な実業家を装っていた。財界や社交界に食い込むため、高級クラブにも通っていた。軍用機メーカーの重役にも接触し、ひそかに情報提供者のネットワークを築いていた。
暴こうとしたのは、アメリカで劇的に進み始めた軍艦増産計画の実態だった。ラトランドは頻繁に海軍の造船所を訪れ、趣味を装い、16ミリカメラで軍艦を撮影していた。ナチスドイツがフランスに侵攻すると、アメリカは軍備拡張に舵を切り、最新鋭の軍艦を続々と建造していた。 アメリカのスパイ情報網をワシントンの武官室で統括していた横山一郎大佐は、「アメリカは、両洋作戦の力あり」と危惧していた。圧倒的な軍事生産力を持つアメリカは、大西洋・太平洋それぞれの戦場で、日独両国と同時に戦う力がある。日本海軍の試算によれば、日米の戦力差は、大きくなる一方であり、アメリカと戦うならば急がなければいけないという声が高まった。ラトランドの情報は、日本に真珠湾攻撃を決断させる根拠のひとつとなった可能性があった。
公開されたイギリスの極秘文書から、ラトランドの行動が、情報機関MI5に監視されていたこともわかった。ラトランドは、泳がされていたのだ。スパイの追跡や暗号解読などを駆使し、国際情報戦を展開していったイギリスは、日米が開戦すると、いちはやくラトランドを拘束した。 注目すべきは、MI5の尋問に対して、ラトランドが、日本海軍だけでなく、アメリカ海軍情報局に通じた「二重スパイ」だったと告白している事実だ。そして終戦の2年後、ラトランドはガス中毒で、謎の死を遂げた。