「ナカタ、イナモトとオノは別格だった」日本サッカー“変わらぬ弱点と新たな課題”「ハセベが将来…最適任だ」トルシエが本音で提言
パリ五輪のサッカー全日程終了直後に実施した、フィリップ・トルシエのインタビュー第3回である。今大会の日本の戦いぶり、そしてカタールW杯ベスト4に続き五輪でも銅メダルを獲得したモロッコの躍進ぶりについて語っていくうちに、テーマは「2020年代の日本サッカーに浮かび上がる、変わらぬ弱点と新たな課題」について言及し始めた。 【写真】「長谷部19歳茶髪ロン毛でヤンチャそう…トルシエが中田や俊輔とバチバチだった頃も」久保や三笘のかわいらしい12歳時など代表選手レア写真、スペイン戦“あのオフサイド”などパリ五輪写真を全部見る パリ五輪、男子ではGK小久保玲央ブライアンの好セーブや、主将のMF藤田譲瑠チマを中心としたコレクティブなサッカーを展開し、グループステージ3連勝を果たした。なでしこジャパンでは19歳の谷川萌々子がブラジル戦で鮮烈な活躍を見せるなど2勝1敗で決勝トーナメント進出を果たした。しかしともにベスト8で大会から去った現状を鑑みて――トルシエが本音で提言する、現状打破への活路とは。<全3回の3回目>
あの頃は中田や稲本、小野を別にすれば…
――あなたが日本代表監督を務めた1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本サッカーは長足の進歩をたどりました。 「進歩はピッチの上にばかりあるのではない。日本は2002年W杯を開催したことで、いろいろな面で覚醒し人々の意識が高まった。それもまた進歩だ。育成だけでなく意識の変革やアイデンティティの確立、個々人が最大限の努力をすることで、日本サッカーはギアをシフトし、ローカルな世界から国際的な舞台に辿り着くことができた。W杯開催が、意識変革の起爆剤となった」 ――パリオリンピック、男女ともに内容は悪くはなかったですが、あなたが指摘したように“個の強さの欠如”という弱点もあらためて露呈しました。今後、この弱点を克服するためにはどうすればいいでしょうか。さらに国際経験を高めていくことでしょうか。 「2002年当時を振り返ったとき、代表選手の8割以上が国内組で監督が外国人――つまり私だった。それが第一段階で、外国人監督がW杯を戦うために必要な要素や手段を日本に持ち込んだ。そして国内組には、監督がもたらした方法論を完璧に実践できる高い能力が備わっていた。国際レベルの要求に応えられる能力だったが、経験という点では彼らは十分ではなかった。ヨーロッパレベルのサッカーを実践する上での経験の欠如だ。 中田英寿や稲本潤一、小野伸二らを別にすれば、そのレベルで経験を積んだ選手はいなかった。それでもグループリーグでは、彼らの能力の高さ――技術、戦術とフィジカル能力を存分に見せつけた。それが2002年だった。その後、進化の第二段階を迎えた。 ――というと? 「日韓W杯の後で選手たちは海外のクラブに移籍した。その結果、今では代表の80%が海外組になり、監督やスタッフは徐々に日本人が占めるようになった。日本人の系譜は、岡田武史から西野朗、森保一と続いたが、彼らは海外でのプレー経験を持たない指導者たちだった。 よくバランスが取れていると私は思う。海外の経験を選手がもたらし、日本人スタッフは足りないものを補完する。文化的な要素の補完だ。岡田も西野も森保も、ヨーロッパではなく国内で豊富な経験を培ったに過ぎない。両者が補完しながらチームを構築するコンセプトはとてもよく機能している。彼らのもと、日本はいずれもW杯でベスト16に進むことができたからだ」
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